「Genius Loci de Paris / パリの地霊」・・・。「土地の雰囲気」や「土地の地霊」を意味する「Genius Loci / ゲニウス・ロキ」という言葉がある。Atget/アジェが撮影した写真に現在の写真を重ね、100年の時の隙間に潜む「ゲニウス・ロキ」をあぶり出す。1900年にAtget/アジェが撮影した写真と、2019年に撮影した写真を重ねた新たなイメージ。ユルサン通り パリ4区/Rue des Ursins,4e Paris
パリ、シテ島の東端、セーヌ川沿いの通り、オー・フラール河岸通りからユルサン通りの1番地へ降りる階段から北西を見る。緩やかに左にカーブを描くユルサン通りが見通せる。Atget/アジェがこの通りを撮影したのは1900年。Atget/アジエの写真には石畳みの路面と路上には大きな荷車や手押し車が写る。通りの右の大きな木はまだなく背後の館がユルサン通りを際立たせている。過去と現在が同一画面に混在し、時空を超えたイメージを作り出す。◆サポート(支持体)、マテリアル(着色剤等)技法など
サポート(支持体)は写真用インクジェット専用の微光沢紙を使用。顔料10色インクを使用するプリンターにて出力している。(ジクレー印刷)
◆取材制作うら話
本作品の撮影場所のユルサン通り界隈は、Atget/アジェが撮影した当時の様子が今も色濃く残る。ことに通りそのものは当時のまま残り、左の建物は幾分改修されたものの当時の雰囲気をよくとどめている。またAtget/アジェの写真の右端に写るポスターが張られた円筒状のものは男性用の公衆トイレだ。パリではこれを「エスカルゴ」と呼んだ。この場所の「エスカルゴ」も1960年代まで残っていたという。また画面右奥、建物の手前には小さな公園がある。そこに当時は樹木はなかったが、現在は建物を覆い隠すほどの大きな木が育ち気持ちの良い小路となっている。ちなみにユルサン通りの長さは110メートルほどだ。アジェが撮影した街角の写真にはプリントの裏面に撮影した所番地が記載されている。幸いなことにその所番地の多くは今も残り、街角の風景もある程度当時のまま残っていることが多い。けれどもそこにある雰囲気はずいぶんと異なり否が応でもアジェがそこで何を感じたのかを考えざるを得なくなる。アジェの作品はガラス乾板を使う大型カメラにより撮影され、街角写真の多くは大判カメラの「あおり機能」を使い建物のパースペクティブを補正している。「あおり機能」を使うことにより、建物の上部が細くなっていく写り方を補正している。私たちが現在使用しているカメラには普通「あおり機能」はないので、私が撮影した画像をパソコン上で補正を行いアジェの画像に近づけていく。アジェと私の画像を重ねたうえで、さらに二つの画面に残された象徴的な部分をそれぞれ強調して合成画面を制作していく。◆Eugene Atget / ウジェーヌ・アジェ
Eugene Atget / ウジェーヌ・アジェ(1857 - 1927)はフランスの写真家。近代写真の父と称される。1857年のボルドーで生まれ、1878年にパリへ移り演劇学校に入学するが兵役のため退学。その後地方回りの劇団で活動するが大成せず、1890年にふたたびパリで「芸術家のための資料写真」を撮影販売。写真家として人生を再スタートさせた。古き良きぱりの街並みを系統だてて撮影した作品は画家はもちろんのことパリ市図書館やカルナヴァレ美術館が購入した。死後、マン・レイの助手だったベレニス・アボットが彼の作品を集め後に1968年それらの作品をニューヨーク近代美術館に売却。彼の業績が広く世に散られるようになった。