メリーと言えばクリスマスと返る。言葉は単独で居られず、次に放たれる言葉を待っている。とはいえ脈絡なく関係の稀薄な言葉が続くことは少ない。「解剖台のミシンと傘の偶然の出会いのように美しい」という言葉の連なりはロートレアモン(Lautréamont)のマルドロールの歌という詩中の言葉。イギリス人の美少年を讃えたという一文でシュルレアリスムにおけるデペイズマン (仏: Dépaysement) の概念を説明する時、必ず引用される有名な一節だ。デペイズマンとは、「異なった環境に置くこと」を意味するフランス語で、日常から切り離した意外な組み合わせを行うことによって、受け手に強いインパクトを与え異和を生じさせる方法概念で文学や絵画で用いられてきた。解剖台の上には人、というのが常人の文脈、連想でミシンという意外な組み合わせでハッとさせる。という手法がデペイズマンである。現代のリアルな花を用いるフラワーアートにあっても、そのような方法を用いるアーティストは多い。花は置く場所の文脈によってデペイズマンを生み出しやすい素材の一つだからだ。花は野に咲く。だから花を摘んで家の中に持ち込んだ時点で「異なった環境に置かれた花」という一種のデペイズマンが起きてくる。家という人工的な空間に自然が現れる。その現れ方の振幅や導入の強弱を采配し家の中の空間と、どう折り合いをつけていくか、そこに生ける人の認識と洞察力が問われる。人間も花も自然界の生物であることに変わりはない。家という建築物が人工の無機物なら、家に自然を持ち込む花の存在は生物であるヒトのプリミティブを刺激し自然存在であることの意識に立ち戻す。家の中に生けられた生花。家の壁に飾られたキャンバスの花。いずれであっても人の目に留まる時、人は「あ、花だ」と認識する。花という認識で括って理解して終える者にデペイズマンは起きにくい。花とか、薔薇とか、百合といった言葉が浮かんだ時点で、その言葉から惹起されるイメージ、過去の鑑賞体験の記憶の像が脳内には浮かんでいる。目の前にある花の美よりもそういった花概念に脳はたやすく支配され納得してしまう。花を見て花を見ず、という状態を、花を見たとして疑わない。日常に風穴を開けうる花の美を表現するボタニカルフォトコンポジションという方法にあっては花の美が際立つようにいくつもの花をコンポジットする。花という概念や、花の固有名から浮かぶ像の脳内イメージに留まらせず、眼前の花の姿、自身の眼球に今映っているその花のディティールに意識を向けさせる。そういう目的のデペイズマンを施すことで人は本当の花の美を体験しうる。その花の美が、際立てば際立つほど、自然界が備えるその美に人が驚き、感嘆する機会が生まれる。私はその機会が生まれることを願い、日々、更新される花の美をコンポジットする。この作品にコンポジットした華やかな赤い花、ボケ(木瓜、学名: Chaenomeles speciosa)は、バラ科ボケ属の落葉低木。中国大陸が原産地で794年〜1185年に日本に渡来した植物である。学名のspeciosaが意味するように、「美しい」「華やか」な花を咲かせる。開花期は1月〜5月頃で春の訪れを知らせてくれる。そして独特のフォルムの白い花はグロリオサ(学名:Gloriosa superba)。熱帯アジア及びアフリカ原産でイヌサフラン科グロリオサ属の植物。開花期は6月〜8月である。本来、生花であれば、開花期が異なるので最も美しい花の状態で組み合わせることは困難だ。また地理区の異なる原産地にある植物だけに、日常的なフラワーアレンジで組み合わせることもほぼない。そして和風と洋風という趣きの異なるこの2つの花をリアルに組み合わせたアレンジメントや生け花として目にすることはまず無い。開花期や自生地の違いは、現代の流通革新や栽培技術の発達によって乗り越えられつつあるが、この2つのコンポジットされた花たちの大きさはリアルとは全く異なるスケールで配されている。実際にはボケはもっと小ぶりだし、グロリオサはボケより大きく見える。リアルスケールを写し取ろうとする写真ではないボタニカルフォトコンポジションでは花の美をデフォルメによってより強調している。日本において祝い事に伝統的に使われてきた紅白のバイカラーは、異質なこの2つの花のコンポジションにあってはより際立っている。そして白いフリルリボンのように見えるグロリオサがデペイズマンとしての役割を果たしている。「赤い花の作品か」という脳に惹起した第一印象に、華やかさを与えている白いフリルリボンの存在が「あれ、なんだろう?」というアテンションを生み出す。そこに目を凝らせば、白い花びらであることがわかる。と同時に目にはボケの赤い花がより引き立って見えてくる。すると雄しべ先端の葯の鮮やかな黄色も目に入ってくる。こうして花の美と出会う。開花期や自生地といった花をよく知る人でなければ持ち得ない知識を知らなくとも、白いフリルリボンによって際立つ印象的な赤は、デペイズマンとデフォルメによって人の目に深く刻まれる。赤い花、ボケ、グロリオサといった花を知で解してしまって見ることが疎かになるよりも、ただただ紅白の花の美を無心に見てほしい、そのためのコンポジションである。