デジタルテレビの受信機の接触不良によるグリッチノイズが発生した液晶画面をニュースやドラマでストレートに撮影した。撮影後のデータに回転やトリミングなどの加工を施しただけで、元画像の意味は失われている。
実際に目撃したことは伏せられたまま、私が提供された画面。ランダムなデータの中に特定のパターンを感じ取るアポフェニア効果のように、鑑賞者は対象を失った抽象的なイメージを「読みたい」という欲求に駆られ、自らの感覚を投影してイメージを生成していくのだ。
フォトジャーナリストとして現場から写真を届けていたとき、私は常に「自分はどこか嘘をついているのではないか」という感覚と隣り合わせでした。複雑な現実が「伝わりやすさ」を最優先したわかりやすい情報に置き換えられ、それが曲解されて世界規模で流布していくのが怖かったのです。
伝聞は人類が共同体として学び、生きていくために不可欠なものですが、メディア環境が写真映像に席巻され、偽物と本物の区別がつきにくくなった今、私たちの現実感や集団体験は大きく変容しようとしているのです。
メディアも個人も、ノイズの海から信号を濾過し、星座をつなぐかのように物語を紡ぎます。異質なものやノイズを排除したクリーンで明るい洞窟の外には、常に別の次元の現実が広がっている。言葉や日常の認識では捉えきれない些細な事実、事件、異常値に注意深く目を向けることで、全体主義的、陰謀的なイメージ空間の外に通じる扉が開かれ、そこから陽光が射し込む。