2020年にBlack Lives Matterが起こり、それに呼応して制作した作品です。
中央のハートの形がアシンメトリーなのは、禅芸術の左右非対称の美を踏襲しているのみならず、黒、黄、白という3つの人種の共存を表しています。またダイヤモンドのような機械的なハートは、2045年に起こるといわれているシンギュラリティに対して、私たちは肌の色の違いで争っている暇はない、AIという人を超越した機械との共存をしていかなければいけない、という警鐘的なメッセージを込めています。
機械は涙を流すことはできませんが、人間の心は誰かのために涙を流すことができます。私はそれが人間の尊厳であり、仲間や隣人を思い合う愛こそが本当に美しいと常に思っています。この思いを作品に託して、その場にいる鑑賞者を巻き込み、新たな対話が生まれることでこの作品に社会性が付与されることを願っております。
シンギュラリティに着目したのには、上記以外にも理由があります。私は高校を退学になり、大学も自分の意思で去った後、専門学校でコンピュータープログラミングを専攻しました。私はこの時、はじめて人の感情や感性を可視化し、表現したいと思いました。例えるならば日本人がアメリカに行き、はじめて外の世界と触れ合うことで祖国日本の美しさを確認できたような、そんな帰属意識の確認に似ていると思います。
私の祖父はロシア人でした。生まれた時から、アイデンティティクライシスが常に深層心理部にあります。常に社会と自己の関わりを考えずにはいられない私の背景は、必然的に作品にも反映されています。
私の宗教観もまた、作品制作に大きな影響を与えています。私は16歳まではキリスト教を信仰していました。しかし高校を退学になってから、この世の真理に疑問を感じるようになりました。そして、仏教系の大学に入学しました。与えられた一方的な教えだけでなく、自発的な学びを通して多角的な物事の見方を養い、状況を判断していく事が大切だと私は考えます。これは昨今の人種的な問題についても然りです。
学生時代には、仏教の知識が将来どのように役に立つかは想像できませんでした。しかし今言えることは、海外でアートを発表していく際に、私のアイデンティティの一つである仏教は必要不可欠な要素であると断言できますし、他の国の人々を理解する際に、キリスト教徒であった経験も非常に役立っていると思います。
この作品を通して伝えたいことは、全く違う経験、要素、知識といった『様々な点と点をつなぐ事』は、新たな道を切り開く上で大切だということです。そしてそれは多様性を養い、マイノリティにも尊厳や価値が存在しているという事を再認識するためにも、非常に意味のある経験になると私は思っています。
この作品が、お互いが歩み寄っていく社会の実現に少しでも寄与出来たらと思います。それはアートが、ある種の社会的磁場として機能したという証明になり、作者としても至高の一時を演出出来たと実感できるが故です。