中央に井戸があり、南国の強い日差しを避ける為、テントが張られ、よく刈り込まれた葉が青々と茂った鉢が並び、メジロが入った鳥籠が吊るされ、多肉植物の沖縄ではよく出くわすサンスベリアと初夏の象徴アマリリスが咲いている。ここは老人が丹生込めて作った、とても大事な庭だが、子供達の手にかかると破壊的に遊び、片付けなど、どこ吹く風。老人が留守の間、孫たちは自分達の自由空間にあっという間に塗り変えていく。子供たちは遊びに夢中で、室内のテレビに映る人気番組にも無関心。井戸からの水は勝手に使いたい放題。魅惑のシャボン玉を飽きる事なく空中に飛ばしている。老人のパラダイスは同時に子供には非常に魅力的な遊びの場なのである。沖縄の庭は時々不思議な様相を呈す。全てチェーン店のDIYショップで購入した部品だけの物を気の向くまま、勝手に加工し、あてがい、正規の使い方とは大違いの利用方法をやってのけ、結果、何とも言えない不可思議な空間が形成されているのである。単なる多様な物の寄せ集めが、まるでインスタレーションのような美術的な空間として目に飛び込んでくる。そしてそれは決まって老人が作る庭なのだ。上品で整った日本庭園などとは程遠く、廉価品の部品の寄せ集めの結果、個性的で類を見ない庭に散策していると出くわして、心が震える。沖縄の老人は目利きと見えて、どの季節でも、何がしかの花を庭に咲かせている。春は桜、初夏は前述した可愛らしいアマリリス、アガパンサス、薔薇、冬は花火のような赤い花をパッと木に咲かせるオオベニゴウガン、椿。住んでる家はトタン屋根や赤瓦のさびれた家なのに、庭は季節ごとにその表情を変え、決して通りから見る人、そこに住む人を飽きさせない。沖縄の老人は一種のマジシャンだ。正規の庭作りなど学ばずとも、立派に個性的な空間を手作りで編み出せる。そんな庭に子供が無関心でいられようか。この手作りの老人の庭は子供と老いた人を、違う次元だが通底させてくれるワクワクする装置がここかしこに仕掛けられている夢の空間なのだ。楽しみ方は異なれど、そこは老人と子供達を同時に心躍らせる事が出来るパラダイスである。最近、沖縄では真四角で真っ白で無味乾燥な似たような新築の家が増えて、外から庭も窺いしれない。もしくは庭自体が消滅している。非常に悲しい。これからも気が向けば、名も知れぬ街へ出向いて、老人達がマジックをおこしている庭に出くわすことができれば私は幸せだ。そこに、思う存分、私の心の中の子供達を目一杯開放させてやるのだ。