古代の神話を現代絵画の表現技法で。 21世紀のめまぐるしい世界における人類の文明。 愛と死の物語。戦争と愛についての考察。 時空を超えた人間の永遠の旅。 シリアのストラトニケは、デメトリアス・ポリオルセテス王とアンティパテルの娘フィラの娘であった。紀元前300年、まだ17歳にも満たなかった彼女は、セレウコス帝国の王セレウコスから求婚された。彼女は父デメトリウスに連れられてロソス(マケドニアのピエリア海岸)に行き、そこで婚礼が祝われた[1]。年齢が離れていたにもかかわらず、彼女は何年かの間、老王と完全に調和した生活を送っていたようである。セレウコスとストラトニケの間には娘フィラがもうけられたが、継子アンティオコスが彼女を深く愛していることが発覚した。 セレウコスは、息子の命を守るため(彼の情熱の激しさによって危険にさらされていたと思われる)、紀元前294年、ストラトニケをアンティオコスに嫁がせた。同時にセレウコスは、アンティオコスが東方諸州の王となることを宣言した。アンティオコスは、カリアのストラトニケイアという都市をストラトニケイアにちなんで命名した[3][4]。バビロニアの文書では、彼女は「アスタルタニク」と呼ばれているが、これはギリシャ語の名前を音訳したもので、女神アスタルテと並列させるために考案されたと思われる。また、バビロニアの女神にのみ与えられていた称号も与えられている[5]。前254年9月か10月にサルディスでストラトニケが死んだことが『天文日記』に記されている[6]。