BATONシリーズとは、祖父守夫の制作した水墨画の掛軸に、
孫の武士がグラフィックや刺繍を入れた
世代を越えた唯一無二のコラボアート作品。血紅色の刺繍で命をつないでいくイメージを表現する。掛軸の巻いた形状がまさに、世代を超えた創造のバトンである。------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
濱武守夫(大正13年生・享年97歳)
敗戦後、手作り竹刀職人として74歳まで生計を立てる。退職後趣味を作ろうと水墨画と出会い、その面白さと持ち前の真面目さでどんどんとのめり込んでいく。表装教室にも通い、掛軸の総数は100本以上制作。屋久杉やグランドキャニオンを描き、八女、筑後の美術展で入選、入賞を果たす。(筑後市長賞等)
多数の作品制作に満足し、年齢的な限界を感じ晩年は制作していない。------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
2022年、さくらの時期、じいちゃんが亡くなった。 享年97歳だった。流行りのウイルスによって、看取ることも出来ずあっという間に骨になっちゃって、
火葬場へお骨を取りに行って、まだ温かいそれを抱きながら「ほら、じいちゃん桜が満開だよ」と夜桜を見せた、ついこのあいだのことだった。大正、昭和、平成、令和と4つの時代を生きてきた。研究者として働き、赤紙、出征直前での終戦。男家族を戦争で亡くし、必死で働き家族を養ってきた。僕が知っている姿は暑くて薄暗い自宅の工場で、手作り竹刀を作っている姿、蝉がうるさい中ラジオからは甲子園が流れていた。浜武家は女系家族で、じいちゃんの子は三人姉妹(僕の母が長女だった)で長いこと男が一人であった。なので初孫の後継である僕が生まれた時は、それはそれは大層喜んでいたという。僕の父が養子に入ったが、45歳と言う若さで亡くなったので、浜武家の男はじいちゃんと僕だけだった。息子のいないじいちゃんに「背中流したるわ」と風呂に入っていき、戦争の話や、たくさん昔話を聞いた。普段飲まない、お酒が入った時は「戦争は馬鹿だ」と珍しく声を荒げた。だが、戦地に行けなかったこと当時は悔しかったと、日記に書いていた。新聞を読み、お茶を飲み、風呂に入り寝る、毎日同じルーティーンの生活をしており、
若い僕には大層つまらない人生に思えた。小学生の頃グリコのおまけで当たったグリコ日記から、ずっと日記を付け出したという
90数年間、夕食前に日記を書いていた。自分が年を重ねると分かってくる事がある。継続して続けることの大変さを、ただ真面目に生きていく凄さと覚悟を。盆正月は孫やひ孫に囲まれて、きっと幸せな人生だったに違いない。「ワシはいつ逝ってもよか」が口癖だったが、なかなか呼ばれず結果、大往生。じいちゃんの水墨画とのコラボ作品を、個展で展示することを、大変喜んでくれて「ワシのが飾ってあるけん」と病院のリハビリの先生や、デイサービースで得意気に個展のDMハガキを配ってくれていたという。じいちゃんの掛け軸いっぱい持ってきたからね。美術館で展示できるなんて、僕に感謝してよね。見せたかったな