シュルレアリスムとは何か 超現実主義の意味は?
アートの世界に触れていると、たびたび耳にする「シュルレアリスム」というワード。なんとなく作品のイメージはできても、具体的にどんな意味で、どの時代に、どんな目的で発生したものでしょうか。この記事ではシュルレアリスムについて詳しく解説していきます。
シュルレアリスム(Surrealism)の和訳は「超現実主義」
シュルレアリスムは英語で「Surrealism」と書きます。その和訳は「超現実主義」です。超現実とは、簡単に説明すると、現実の先にある世界観のことを意味しています。それは、目に見て捉えられることができる意識的な世界観ではなく、人が無意識の中に抱えている世界観です。
シュルレアリスムは、当時誕生した精神分析学のジークムント・フロイト(Sigmund Freud,1856-1939)の「夢」や「無意識」といった世界観から影響を受けており、人間の無意識をテーマとした作品が数多く作られました。
ダダイズムとシュルレアリスム宣言
シュルレアリスムは、シュルレアリスムが活動する以前に活発に活動していた「ダダイズム」と呼ばれるアート思想を受け継ぐかたちではじまったともいわれています。ダダイズムは、第一次世界大戦をきっかけとして世界の秩序や常識を無意味化するアート活動を目的とした思想であり活動団体です。
ダダイズムの活動の一方で、人間の「無意識」を発見したフロイトの思想に影響をうけたアンドレ・ブルトン(André Breton, 1896-1966)は1924年に『シュルレアリスム宣言』を書物を通して発表。これがきっかけでシュルレアリスムという言葉が広がり、活動がはじまったといわれています。
「シュルレアリスム宣言」発表の頃のブルトン(wikibediaより)
なぜ怖い? シュルレアリスムの特徴や技法
ダリの作品をはじめ「シュルレアリスムの作品は怖い」といった印象をお持ちの方も多いかもしれません。それもそのはず。先ほど述べたようにシュルレアリスムの原点は、フロイトの「夢」や「無意識」にあります。
単純に幻想的でファンタジーな世界観ではなく、現実の延長にある世界観がシュルレアリスムです。ですから、悪夢のような絵画もしばしば多くみられます。シュルレアリストは私たちの意識できる感覚を超えた「無意識」をさまざまな新しい技法を生み出し、捉えようとしました。その技法をいくつか技法を紹介します。
・デペイズマン
例えば、「デペイズマン」という技法があります。この技法は、本来あるべき場所や状況にあるモチーフを切り離して、別の場所へ置き換えることです。絵の中で不思議な違和感が発生し、それぞれのモチーフに新たな意味や関係性を表現することができます。このデペイズマンは、のちに異なる物と物を組み合わせるオブジェのコレージュにも活用されます。
・オートマティスム
また「オートマティスム」という技法もあります。オートマティスムのやり方は、描く内容をまったく考えず、ただ思いつくことを次々に描くという技法です。意識や理性をあえて使わないことによって、無意識下にある精神性や世界観を表現しようという試みています。
まるっと理解!シュルレアリスム代表的な画家や絵
それでは具体的にシュルレアリスムの作家はどんな作家がいるでしょうか。この記事では具体的に当時のシルレアリストと呼ばれた作家5名を紹介します。
コラージュ作家の代表ーマックス・エルンスト
マックス・エルンスト(Max Ernst, 1891-1976)は、ドイツ人の画家であり彫刻家です。彼はボン大学で哲学や美術史を専攻し、ゴッホの絵画に触発され画家を志しました。そして、ダダイズムを経てシュルレアリスムの作家となります。
彼はフロッタージュ、コラージュ、デカルコマニーなどさまざまな技法を駆使した作品を制作しています。木や硬貨などの表面を紙に置いて鉛筆で擦り出すことで転写するフロッタージュは、彼が考案したものであるといわれています。
作品の代表作は《百頭女》(1929)。これは19世紀の押絵本やカタログの木版画を切り抜き合わせたコラージュ小説です。《百頭女》はコラージュ作品として高い評価を受けており、さまざまなアーティストが影響を受けたといわれています。
《百頭女》(1929)
ぐにゃぐにゃの時計といえばーサルバドール・ダリ
サルバドール・ダリ(Salvador Dalí, 1904-1989)は、スペイン人の画家です。少年時代から芸術に関心を持ち、1922年にマドリードの王位サン・フェルナンド美術アカデミーに入学しました。学生時代よりシュルレアリスムに影響を受け、1929年に正式にシュルレアリスト・グループに参加しました。
彼は「変質強敵批判的方法」と呼ぶ独自の制作方法を用いました。写実的な描画をしつつ、さまざまなイメージを画面に投入し、まるで夢に出てくるような風景画を描いています。
彼の代表作は、別名「柔らかい時計」とも呼ばれる《記憶の固執》。時計と柔らかさといったイメージを掛け合わすダブルイメージの表現を用いて、ぐにゃぐにゃになった時計が印象的です。
《記憶の固執》(1931)
詳しくはこちらの記事もチェックしてください。
「サルバドール・ダリ《記憶の固執》を徹底解説」
日常の世界から遠く離れてールネ・マグリット
ルネ・マグリット (René Magritte, 1898-1967)は、ベルギー出身のシュルレアリスムの画家です。 1916年にブリュッセルの美術学校に入学した彼は、キュビズムやダダなどから影響を受けて作品を制作しました。ある日デ・キリコの『愛の歌』の複製に感銘を受けて、これをきっかけにシュルレアリスムの運動に加わっていきます。
しかし、シュルレアリスムのリーダーであったアンドレ・ブルトンとそりが合わずに、シュルレアリストたちとの関わりは疎遠となりました。その後、彼はベルギーで銀行員となり、働きながら絵を描くという、慎ましやかな生活を送っていたといわれています。
彼の代表的な技法は「デペイズマン」や「コラージュ」です。また、絵画のなかに言葉を積極的に取り入れています。例えば《イメージの裏切り》はパイプの絵が描かれていますが、「これはパイプではない」と文字も書き込まれています。
他にも、類似性のあるものを引き合わせて、予期せぬイメージを生み出す手法を用いた《予期せぬ答え》も彼の代表作です。この作品では、日常のモチーフを組み合わせて、神秘的な風景を表現しています。
《On the Threshold of Liberty》(1937)
具象と抽象のあいだージョアン・ミロ
ジョアン・ミロ(Joan Miró, 1893-1983)は、スペイン出身の画家です。10代にうつ病と腸チフスを患い、療養のため訪れたモンロッチで芸術に深い関心を抱くようになりました。
その後、バルセロナの美術学校に入学し1919年にはパリとモンロッチを往復して制作するように。パリでは、ピカソやアンドレ・ブルトンと出会うようになり、シュルレアリスムの活動に参加しました。
ミロの作品のスタイルは、具象と抽象のあいだをいくような独特の画風です。このスタイルで、彼は現実と虚構を統合するイメージを描きます。晩年の代表作《星座》では、記号化された星や太陽、鳥、女性を線・形態・色彩が画面上で調和し、神秘性を増した絵画となっています。
《Escalade》(1976)
オートマティスム技法の先駆者ーアンドレ・マッソン
アンドレ・マッソン(André Masson, 1896ー1987)は、フランス出身の画家です。パリとブリュッセルで美術の教育を受けたマッソンは、初期の作品はキュビズムの影響を受けました。のちにマッソンは、シュルレアリスム運動に参加します。
マッソンはシュルレアリスムの代表的な技法である「オートマティスム」をいち早く作品に取り入れました。例えば、彼は空腹や不眠状態など自らにストレスを課しながら制作することによって、作品に無意識的な表現を可能にすると考えました。
マッソンのこのような試みは、のちのモダニズム絵画に代表されるジャクソン・ポロックなどに強い影響を与えています。
《Acteurs chinois》
他の分野へ展開したシュルレアリスムの代表作
ブルトンのシュルレアリスムの思想は美術へ大きな影響を及ぼしました。しかし、ブルトンが書物を通して発表したことがきっかけです。ですから、もちろん文学にも大きな影響を及ぼします。
また、絵画や彫刻などの美術のジャンルに留まらず、当時の最先端技術である写真や映画など多岐にわたるジャンルに活動の幅を広げていきます。ここでは、シュルレアリスムの文学や写真にどのような影響を与えたのか紹介します。
シュルレアリスム文学、詩や小説
はじめの発端は文学運動だったシュルレアリスム。ここでは2名の作家を紹介します。
・ルイ・アラゴン
ルイ・アラゴン(Louis Aragon,1897-1982)の《パリの農夫》(1926)は、シュルレアリスム作品で有名な小説です。青年が描く内なる幻想的な世界を、彼の日常生活を通して描く詩的な作品です。アラゴンは第2次大戦中では、レジスタンス詩人としても活躍しました。
・ポール・エリュアール
また、ポール・エリュアール(Paul Éluard,1895- 1952)はブルトンとともにシュルレアリスムを牽引した詩人です。彼はエルンストなどシュルレアリスムの作家達と共著を多く刊行しています。第二次大戦中に詩集『自由』を発表。戦時中も活動家として活躍し、愛と平和をテーマとした詩を多く発表しています。
シュルレアリスム写真と写真家
シュルレアリスムの作家たちは、写真表現に無意識の世界観を見出していきます。例えば、マン・レイ(Man Ray, 1890-1976)の写真作品はシュルレアリスム写真として有名です。
・マン・レイ
もともと画家として活動していた彼は、ダダ運動に参加し、のちにシュルレアリスム運動にも参加しました。20年代ごろから写真に傾倒し、職業写真家として成功した彼は、シュルレアリスム的な写真作品も制作しはじめました。
その中で彼は特殊な現像技法を生み出しました。例えば、カメラを使わず印画紙の上に直接物を配置して感光させる「レイヨグラフ」。写真の現像時にわざと光を当てることによって、写真の黒と白を反転させる「ソラリゼーション」。彼はこれらの技法を駆使して、現実のモチーフを取り入れながら幻想的な写真作品を作り出しました。
《La Maison》
日本の超現実主義 「シュール」とシュルレアリストたち
これまでこの記事ではヨーロッパのシュルレアリスム運動を中心に紹介してきました。もちろん日本でも、シュルレアリスム運動の影響を受ける作品は多く存在します。
「シュルレアリスム」ではない日本の「シュール」?
シュルレアリスムは、無意識の探究によって現実を超えた世界を表現するという目的のものでした。しかし、日本では現実離れした幻想的な作風のものを「この作品シュールだね」と表現することが多いのではないでしょうか。
この傾向は90年代末ごろから日本のメディアや俗語として「シュール」という言葉が流行したためだと考えられます。そのため、大衆が「シュールだと感じるもの」と本来の「シュルレアリスムが表現したいもの」が大きな溝が生じている状況は今も続いています。
しかし、日本でも1920年代以降、このシュルレアリスムが表現したいものの本来の目的を受け取り活躍した作家はいます。ここでは古賀春江(1895-1933)と北脇昇(1901–1951)を紹介します。
日本最初のシュルレアリスム作家ー古賀春江
古賀春江は、日本で最初のシュルレアリスム絵画を描いた画家といわれています。(ちなみに春江という名前であるが、男性です)
彼の代表作《海》(1929)は、原発と海との関係を描いており社会的なメッセージとともにコラージュの技法を用いています。
《海》(1929)
ダブルイメージから数学までー北脇昇
北脇昇は、京都で活躍した画家です。彼もシュルレアリスムに影響を受けた作品を多く制作しています。
例えば《空港》(1937)ではカエデの種子を飛行機に見立てるようなダブルイメージの技法を用いています。また、晩年では作品の中に数式や自然科学、易学の理論を組み合わせる実験的な制作を行っています。
《空港》(1937)
日本文学といえば 安部公房の芥川賞受賞作品『壁』
シュルレアリスムの影響は、日本でももちろん文学の世界に影響を及ぼしています。その代表に小説家の安倍公房がいます。彼の作品もまるで悪夢の中にいるような作風のものが多いです。
例えば『壁』では、ある日主人公が名前を失くすという不思議な設定から物語がスタートします。そして、主人公が社会で生きることが困難になった様子が描かれていきます。
この作品では 単純に幻想的な世界ではなく、どこか現実味を帯びた設定があります。人間の恐怖や欲望を浮き彫りにし、人間の無意識に呼びかけてきます。
『壁』(1951) 新潮文庫
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いかがでしたか?
シュルレアリスムについてまとめると、以下の特徴が分かりました。
・シュルレアリスムは現実を超えるという意味の「超現実主義」
・フロイトの影響から「夢」や「無意識」の表現を目指す
・独自の手法「オートマティズム」「デペイズマン」がある
・美術に止まらず、写真や文学作品もある
・シュルレアリスムは日本でも美術や文学に大きく影響を与えている
シュルレアリスムは現代においてもその影響を受けて表現している作家さんがいらっしゃいます。以下のページではTRiCERA ARTのシュルレアリスムのアーティストを紹介しています。アクセスしてぜひご覧ください。
「不思議の国へようこそ - シュルレアリスム」