ポップで可愛い、様々なポーズをした棒人間(?)たち。
キース・ヘリング(1958 - 1990)が生み出したアートは、世界中で愛されています。
今回は、アメリカで活躍しストリートアートのの先駆者としても知られるキース・ヘリングの生涯と作品をご紹介します。
キース・ヘリングとはどんな人物? - 概観
キース・ヘリングは、1980年代のニューヨークを席巻したグラフィティ(落書き)・カルチャーを代表するアーティストで、一目で彼と分かるようなシンプルなタッチで描かれた人物や犬などの絵で知られています。
彼のキャリアはニューヨークの地下鉄に描いたグラフィティから始まり、瞬く間に市民の人気を獲得、壁画を制作し、その他にもパブリック・アートと呼ばれるような公共空間での作品を次々に発表しました。
日本でも中村キース・ヘリング美術館が2007年に山梨県の八ヶ岳に設立され、現代的な建築やカラフルで楽しいミュージアムショップとともに日本のアートファンにヘリングを紹介し続ける役割を担っています。
ヘリングの特徴として彼のセクシュアリティは重要視されています。
作品中でも、セクシュアルな要素が暗示されているものが多くあります。自らの同性愛志向という性質を見つめて作品化し続け、さらに性的マイノリティを擁護するような活動をジェンダー活動が一般的ではなかった黎明期からオープンに行った活動家としての一面も高く評価されています。
キース・ヘリングのキャリア初期
幼少期
ヘリングは、ンシルヴァニア州で敬虔なキリスト教一家に生まれました。
幼い頃から絵を描くことに興味を持ち、父と一緒にお絵描きをしていたといいます。
また、のちのポップな作風のベースになったと考えられる、ウォルト・ディズニーのアニメ、ドクター・スース、チャールズ・シュルツ、そしてバッグス・バニー・ショーなどカートゥーンをよく見ていたと言われています。
高校を卒業後はピッツバーグのアイビー・スクール・オブ・プロフェッショナル・アートで学びましたが、授業内容に退屈し、自分独自のやりたいことを模索するようになります。
その中で出会ったロバート・アンリの『アート・スピリット』(1923年)に衝撃を受け、のめり込むように自分の作りたいものを作り始めました。
偉大なアーティストの薫陶を受けた20歳ごろ
1978年頃、20歳前後のヘリングはピッツバーグ芸術センターで働いており、そこで開催される偉大なアーティストの作品を間近に見て大きな影響を受けました。
ピエール・アレシンスキー、ジャン・デュブッフェ、ジャクソン・ポロック、マーク・トービーなどの作品のパワーに衝撃を受けたようです。また、クリスト&ジャンヌ=クロードとして夫妻で様々な大規模プロジェクトを手がけたフランス出身のクリストの講演を聞き、パブリックな場でのアートの存在価値について根本的な考え方を形作ります。
ピエール・アレシンスキー《Dotremont dans sa nuit lapone》
世界的なアーティストへの道
アートスクールと、グラフィティ活動の始動
同じ頃、ヘリングはニューヨークのスクール・オブ・ヴィジュアル・アーツ(SVA)で絵画を学び始めます。
また、ナイトクラブでアルバイトをしたり、制作においてもビデオやパフォーマンスアートなどの新しい表現を模索しました。
在学中からマンハッタンの地下鉄でグラフィティアートを制作し、注目されていました。
ヘリングは、まずは使われていない広告板の裏に白チョークで絵を描き始めます。「Radiant Baby」シリーズは、ヘリングを象徴するモチーフですが、早くもこの頃から描いていました。
バロウズやガイシンによるカットアップ技法の影響
小説家のウィリアム・バロウズ、パフォーマンスアートや絵画で活躍したアーティストのブライオン・ガイシンが用いた「カットアップ」手法にも大きな影響を受けています。
「カットアップ」とは、テキストをランダムに切り刻んだ上で再構成し新しいテキストに作り直す、偶然性の文学技法のことです。
ブライオン・ガイシン《Magic Mashrooms》1961年
ヘリングの作品には、シンプルなキャラクターと言葉・文字の要素が見られます。例えば、マンハッタン中の街灯柱に短い「見出し」を貼り付けたプロジェクトがあります。これには「英雄の警官によってレーガン暗殺」といったフレーズや「解放された人質のためにポープ殺害」といったフレーズが使われ、カットアップから生まれたランダムでセンセーショナルなフレーズが議論を呼びました。
ヘリングにおける「同性愛」というキーワード
その後も友人と展示を企画したりなどしていたヘリングですが、1982年、ロウアー・イースト・サイドの壁に大規模な壁画を制作しました。壁画というメディアは、その後もヘリングの表現の中で重要な位置を占めるようになります。
この頃ヘリングは驚異的なスピードで制作をしており、時には1日に40点もの絵画を完成させることもありました。
ヘリングの作品を特徴づける要素として最も大きいと言えるのが、「同性愛」というキーワードです。それが表現されている《無題》(1982年)は、放射状のハートと愛のモチーフを持つ2つの人物を描いており、早くも彼のオリジナリティを発揮しています。
《無題》1982年
国際展ドクメンタへの参加
1982年、ハリングはカッセルで開催されたdocumenta 7に参加し、彼の作品はボイス、キーファー、リヒター、トゥオンブリーやウォーホルといった世界的なアーティストと並んで展示されました。
このドクメンタには弱冠21歳のバスキアも参加しており、アメリカから参加したヘリングとバスキアの二人は20代前半のストリートアーティストという非常にアイコニックなものになりました。
スターダムへと一直線
その後も、1983年にはサンパウロ・ビエンナーレやホイットニー・ビエンナーレへの参加を果たし、アート界で大きな存在感を見せつけます。
また、ヴィヴィアン・ウエストウッドとのコラボレーション、それを歌手のマドンナがミュージックビデオで着用するなど、まさにスターダムにのし上がる活躍をしました。
ヘリング作品の価格が急上昇するその一方で、地下鉄でのグラフィティは続けており、さらに無料のボタンやポスターを配布するといった活動も並行して行っていました。
ポップにアートを広めること
「多くの人に作品を届ける」ために
1986年、ヘリングはニューヨークのソーホーにポップ・ショップを開店しました。ここではヘリング作品のプリントシャツやポスターなどのアイテムが販売され、「作品を一般の人々に届ける」という彼の最も大きな望みを実現する場になりました。ヘリングは初期から、美術館に閉じ込められて少数の人の目にしか触れないような作品のあり方に違和感を感じており、ポップアートは大衆の手に渡るべきであるという考え方を持っていました。同じモチベーションで、世界中の美術館や様々な施設での壁画制作を積極的に行いました。
1986年、アムステルダム市立美術館で壁画制作をするヘリング
ヘリングは、ショップを開店するような行為はアートの商業化であるという批判を受けることもありましたが、これについては以下のようにコメントをしています。
「数点の作品を描いて価格を吊り上げれば、もっと多くのお金を稼ぐことができる。僕の店は地下鉄の駅でやっていたことの延長線上にあり、高尚な芸術と庶民の芸術との間の障壁を取り払うものだ」
また、ポップ・ショップの登場以降、作品の中で繰り返されるメッセージには、反アパルトヘイト、エイズ啓発、クラックコカイン反対など、より社会政治的なテーマが顕著に見られるようになってきます。
ヘリングのセクシュアリティ
ヘリングは、パブリックに自らのゲイというセクシュアリティを開示していました。当時このように公表している人物はごく少数だったため、作品を通して性的マイノリティへの支援を行っていたのです。安全なセックス、エイズ啓発などはその理由で主張されていました。
しかし、1988年にはヘリング自身がエイズの診断を受けてしまいます。
さらに、前年の1987年にはウォーホルが、ほとんど同時期の88年終わり頃にはバスキアが亡くなっており、ヘリングは「残されてしまった」という感覚を覚えていたのかもしれません。
生涯の最後の数年間で、エイズに関する認知を広めるために様々な活動を展開しました。
《Fertility Suite Untitled no.4》1986年
晩年の活動
1989年、《Rebel with Many Causes》という作品でエイズなどの社会問題の回避をする体制を批判し、「見ざる、言わざる、聞かざる」を批判的に取り上げて作品としました。
また、同年の12月1日エイズ啓発デーを記念して制作された壁画プロジェクトに参加したヘリングはロサンゼルス・タイムスに以下のように語りました。
「私の人生は私のアートです。人生とアートは絡み合っています。
エイズが私の人生の現実となり、私の絵画の題材となっていきました。
この病気が私の人生に与える影響が大きくなるほど、作品も変貌していきました」
ヘリングが残した現代への遺産
ヘリング作品のアパレルコラボ
Haringの特徴的なアートは、さまざまなファッションコレクションで今でも頻繁に見ることができます。Adidas、Lacoste、UNIQLO、Supreme、Reebok、Coachなど、様々なアパレルブランドとコラボし、若者の人気を常に集めています。
HMとのコラボレーション
輝く赤ちゃんの意味は?
ヘリングの代表的モチーフ「Radiant Baby」は線が放射状に広がる赤ちゃんを描いており、実はこれはキリストの子供時代を暗示していると考えられます。
彼は地下鉄のアーティストとしての活動時にも、キリストの子供を描いたイメージを作り続けました。その中には、彼独特のスタイルで描かれた降誕の場面もありました。
ヘリングの宗教的な側面にも注目して作品を見てみると、単にポップで可愛いだけではない基盤となる考え方が見えてくるかもしれません。
中村キース・ヘリング美術館
日本には、山梨県の八ヶ岳にヘリング作品を多く収蔵する「中村キース・ヘリング美術館」があります。
中村和男氏により2007年に開館し、現代建築家の北河原温により設計された建築も魅力の一つのこの美術館は、へリング作品の奥に潜む「人間が秘める狂気」や「生と死」に向き合うことのできる空間になっています。
ヘリングの作品や生涯を様々な角度から紹介したり、ヘリングと現代のアーティストをコラボレーションする企画展などを、年間を通して開催しています。
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