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現代アートの父【マルセル・デュシャン】を解説

2023/03/23
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「現代アート」という概念を生み出したとして知られているマルセル・デュシャン。
彼の作品は難解さでも有名ですが、現代の存命アーティストにも多大な影響を与えていることも事実です。
また、ダダイズムなどの創造を通して、「現代アート」としてそれ以前の「近代美術」とは根本的に区別される芸術の捉え方を創出した点においても、歴史上で最も重要なアーティストの一人といえます。

今回は、デュシャンの作品を見ていきながら、なぜ彼が現代アートの父なのか?を紐解きます。


マルセル・デュシャンとは何者?

デュシャンの初期の活動

マルセルは、フランス・ノルマンディーの文化的な家庭に生まれました。
母方の祖父であるエミール・フレデリック=ニコルは銅版画家・画家で、デュシャンの祖父の作品は家中に溢れていました。
デュシャン家は余暇にはチェスを楽しみ、読書や絵画、音楽を嗜むなど、非常に教養や文化に恵まれた裕福な家庭だったと言えます。

実は、デュシャンは7人の兄弟(うち一人は幼い頃に亡くなる)がいて、そのうちのデュシャン自身以外の3人も芸術家として成功しています。ジャック・ヴィロン、レイモンド・デュシャン=ヴィロン、スザンヌ・デュシャン=クロッティがその3人です。

イヴォンヌ・デュシャン=ヴィロンの肖像, 1907

8歳の頃、兄たちをに続いてルアンの寄宿学校に通い始めます。
学校では特に目立った生徒ではなかったようですが、数学が得意で、二度数学において表彰を受けています。
兄のジャックも学生の頃から芸術家を目指して絵を描いており、デュシャンはそれを真似ようと必死に勉強していました。学校では印象派や後期印象派のスタイルが流行り、デュシャンも初期には印象派風の風景画などを描いていました。

風景, 1908


初期の作品では、特に後期印象派のオディロン・ルドンに影響を受けたとのちのインタビューで明らかにしています。
1904年から05年まで、デュシャンはアカデミー・ジュリアンで絵画の技術を学びましたが、授業に出るよりもビリヤードにハマっていたと言います。この頃から、シャレや視覚的な仕掛けを用いた過激な風刺画を発表しており、このような言葉遊びに関係するモチベーションは生涯を通じてみられます。

兄のジャックの紹介により1908年にはサロン・ドートンヌで作品を展示しました。
当時の作品はフォーヴィスムやキュビズムに影響を受けたスタイルで描かれていました。
その際、のちに友情を結ぶことになる美術批評家で詩人のギヨーム・アポリネールからは「デュシャンの描いたヌードはなんて醜いんだ」と酷評を受けました。
この展覧会を通じて、アポリネールに加えてフランシス・ピカビアとも生涯続く親交が始まりました。

階段を降りる女 No. 02

1912年に発表されたデュシャン初期の代表作《階段を降りる女 No. 02》は、「独立展」に出品されました。
その際、同様に参加していたキュビズムの一員を自称するアルベール・グレーズという画家がその絵を取り下げてくれないかと申し出ました。独立展においては審査員などは存在せず、グレーズにはデュシャンに作品を取り下げさせる権利はありませんでした。
この事件をきっかけに、キュビズムには愛想をつかしデュシャンは独自のスタイルを見つけることになります。

網膜的絵画との訣別

1912年ごろ、ドイツのミュンヘンに滞在している間に、デュシャンは代表作《彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも》のドローイングを始め、《大ガラス》の構想を練り始めます。
同時に、ミュンヘンにあるアルテ・ピナコテークに毎日通い、ルーカス・クラナッハの作品を見ていたと言われています。クラナッハの抑制された黄土色と茶色の色彩は、のちのデュシャンが使用する色幅に影響を与えたと言われています。

コーヒーミル, 1911


チョコレートグラインダー, 1912

1912年以降の彼の制作には、《大ガラス》の構想スケッチと、「ペインタリーな」要素を極力排除した少数のキャンバス作品だけが残されています。


美術界に衝撃を与えた《泉》

1917年、独立芸術家協会 (ニューヨーク)で発表された《泉》は美術界に衝撃を与えました。
ひっくり返された男性用小便器に「R. Mutt」とサインされただけのこの作品は、この展覧会には以前と同じく審査員はいなかったにも関わらず「これはアート作品ではない」と抗議を受けました。
結局協会から拒否されたこの作品は展示を取りやめさせられ、デュシャンは独立芸術家協会を脱退することになります。
非合理性、ナンセンス、非論理性を価値あるものとするダダイズムの芸術家の間にも大きな旋風を巻き起こした作品でした。

泉, 1917


なぜ現代アートの父と呼ばれるようになったのか?

レディメイド作品から考える「アートは考えさせるもの」

20世紀初頭、芸術家たちは「作家の手で創り上げた唯一の作品で、美しく高尚なもの」という前提のもと、表現活動を行なっていました。

デュシャンはそれまで当たり前とされてきた芸術の概念に疑問を抱き、芸術品を無条件に崇拝するような風潮に異議を唱えます。

彼はどこにでもある既製品を作品として展示し、「レディ・メイド」と呼びました。
特に美しくもなく印象にも残らないような、あえて「無関心」なものを選び、展示空間に提示する。
すると鑑賞者はその意味を解読しようと試み始める。
デュシャンはその行為こそが芸術であると考えました。

L.H.O.O.Q., 1919

レディ・メイドによって「芸術とは何か」という問題提起をし、「考える芸術」という、芸術の新しい定義を生み出したことこそ、彼が「現代アートの父」と呼ばれる所以なのです。

自転車の車輪, 1913

デュシャンの哲学

デュシャンは、晩年は制作を放棄し、代表作とされている《大ガラス》の制作も途中で放棄しています。
その後はチェスプレイヤーとして、チェスに没頭していたとも伝えられています。

その生涯の根幹にあったのは、「考えて表現すること、表現を考えて解釈すること」の楽しさでした。
レディメイド作品も、大ガラスも、その作品のみで見て何か美的な感動を得られるかというとそうとは限りません。
「芸術とは何か」という意味の更新を、デュシャンは試みました。
この問いかけが、今の現代アートのほとんどの芸術家に受け継がれていることを考えると、やはり彼の作品制作と、作品自体のみならずその姿勢やその背景にある思考が、美術という歴史の中では今でも特異点と考えられます。


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現代アートの歴史・楽しみ方・各アートジャンルの解説など、役に立つ情報を芸術大学卒業のキュレーターが執筆しています。TRiCERA ARTは世界126カ国の現代アートを掲載しているマーケットプレイスです。トップページはこちら→https://www.tricera.net