《我が子を食らうサトゥルヌス》は、スペインの画家フランシスコ・デ・ゴヤの絵画作品で、連作「黒い絵」の中の一点です。
その衝撃的な画題と、内容を直接的に表現したタイトルやビジュアルによって、一目見たら忘れられない作品となっています。
《我が子を食らうサトゥルヌス》の基本情報
作者:フランシスコ・デ・ゴヤ
制作年: 1819-1823年
素材:キャンバスに油彩
寸法:146 cm × 83 cm
所蔵: プラド美術館、マドリード
サトゥルヌスの神話とは?絵画の背後にある物語
ゴヤによるこの絵画は、神話をもとにしたテーマで描かれました。
ローマ神話に登場するサトゥルヌス(ギリシア神話のクロノスに相当)という農業の豊饒をつかさどる神が、将来自分の子に殺されるという予言に恐れを抱き、5人の子を次々に呑み込んでいったという伝承が描かれています。
ローマ神話では、もともとは神々の住むオリンポス山の王でしたが、ゼウスに王座を奪われてからはイタリアに移住します。彼はイタリアに農耕技術を導入して、文明化を進めたという伝説も残っています。
しかし、老境にさしかかると、サトゥルヌスは自己の破滅に対する恐怖から狂気に取り憑かれてしまいました。
伝承のように丸呑みするのではなく、自分の子を頭からかじって食い殺す凶行に及ぶ様子が、リアリティをもって描かれています。
あまりにリアルでグロテスクなその描写に、嫌悪感を抱く鑑賞者も少なくありません。
しかし同時に、その直接的な表現ゆえに、美術史上でも稀に見られる傑作として名を残しています。
ゴヤの絵画の独自性
隠された性的描写
この絵は後世に黒く塗りつぶすような修正を施されていますが、オリジナルの状態ではサトゥルヌスの勃起した陰茎が描かれていたと言われています。
まるで、殺人に際して性的興奮を覚える性的倒錯者のような描かれ方は、もともとの神話からは大きくはずれて、画家ゴヤの晩年の厭世観と独自の人間観を反映しています。
ルーベンスの《我が子を食らうサトゥルヌス》
ちなみに本作が描かれたのはゴヤが77歳の時ですが、本作より以前にはほぼ200年ほど前にオランダの画家ルーベンスが同じ伝承をモチーフとする『我が子を食らうサトゥルヌス』を描いています。
ルーベンス作のサトゥルヌスと比較しても、まるで人ではなく怪物や巨人のようになってしまったゴヤバージョンのサトゥルヌスは、真っ黒の背景とも相まって恐怖感を煽ります。
ピーテル・パウル・ルーベンス, 我が子を食らうサトゥルヌス, 1636年-1638年
ゴヤの「巨人」とは
まるで巨大な怪物のように描かれたサトゥルヌスですが、実はゴヤの絵画の中では「巨人」は繰り返し描かれたモチーフでした。
無題, エッチング, 1814-1818
彼が版画や油絵で残した巨人のイメージは、当時の暗鬱としたスペイン全体の雰囲気を打ち壊してくれるような、巨大な存在への希求を象徴しています。
評論家のヘスサ・ベガは、「ゴヤの『巨人』に関する研究方法としての芸術的技法」(ゴヤ・ジャーナル№324)という記事にて以下のように解説しています。
「巨人は、抵抗や防衛、誇りそして決起から、憂鬱への落ち込みへと移る多くのスペイン人の気分を反映したもので、製作者によって共有された集団感情である」
《眠れる大巨人》, 鉛筆リトグラフ, 1824 - 1828
「黒い絵」とは?
《我が子を食らうサトゥルヌス》が含まれている「黒い絵」と呼ばれているのは、ゴヤが晩年に自身の家の壁に描いた一連の絵画シリーズのことです。
黒をメインテーマとした絵画が多いため、黒い絵と呼ばれています。
晩年のゴヤは聴覚を失っており、しかも「黒い絵」が描かれた自宅はゴヤの前には難聴者が住んでいたために、「聾の家」とも呼ばれていました。
下の図は、家の中での絵画の配置図です。
「黒い絵」の絵画たちは、鬱屈とした雰囲気に覆われつつ、神話をモチーフとした意味深で謎めいたものが多くなっています。
Source
「黒い絵」の他の絵画を紹介
ここからは、《サトゥルヌス》だけではなく他の「黒い絵」を一枚一枚見ていきましょう。
《運命の女神たち》
この作品は、「聾者の家」の2階に位置していました。
宙に浮いた、男性とも女性ともつかない不思議な人物が4人います。
一番手前の人物の手は、後ろ手に縛られています。まるで囚われの身であるかのようです。これは、逆らうことのできない運命を表現しているのかもしれません。
この絵の色彩は、他の黒い絵と同じかそれ以上に、黄土色と黒に支配されています。
神話的な主題にふさわしく、夜の非現実的な雰囲気を強めています。ゴヤの「黒い絵」は、不条理を描いたという点において、近代美術の先駆けと考えられています。
《魔女の夜宴》
《魔女の夜宴》は、暴力、脅迫、老い、死をテーマとする絵画です。
山羊の姿をしたサタンの巨体が、恐怖した魔女たちの集会の上に月明かりに照らされたシルエットを描いています。
この不気味な集会の様子は、19世紀のスペインで行われていた異端審問・魔女裁判といった、迷信に基づいたいき過ぎた宗教的儀式を揶揄しているとする見方もあります。
老年のゴヤを苦しめていた精神的・肉体的苦痛の雰囲気も感じ取れます。
《棍棒での決闘》
この作品には、泥や砂の泥沼に膝までつかりながら、棍棒で戦う二人の男の姿が描かれています。
一つの見解では、この二人の男たちはある支配者に不和を煽られて戦っており、当時のスペイン国王フェルディナンド7世の政治を皮肉っている意味があるとも指摘されています。
《食事をする二老人》
二人の老人は、通説では男性だと考えられていますが、定かではありません。
左手に座り、スプーンで皿から何かを掬おうとしている人物は、まるでニヤリと笑っているかのような表情を見せています。
それに対して、右手の人物はほとんど骸骨のように見えます。落ち窪んだ眼窩、禿げ上がった頭や鼻の形。
ほとんど死の床にいるような二人の老人に、ゴヤは自分自身を重ねていたのかもしれません。
手法的には、ゴヤらしい大胆な筆致で全体が描かれていて、場所によってはペインティング・ナイフも用いられています。一筆で形態を決めていくスピーディな描き方は、のちの印象派などにも通ずるものになっています。
《アスモデウス》
この絵では、男女2人の人物が、広い風景の上空に浮かんでいるように描かれています。
彼らはそれぞれ反対方向を見ているが、彼はキャンバスの右側にある山の上にある町を指さしています。
批評家のエヴァン・コネルは、この山の形が半島戦争後のスペインの自由主義者の避難場所であったジブラルタルに似ていると指摘しています。
当時のスペインの状況を暗示するような意味が込められているのではないかと考えられています。
《サン・イシードロの巡礼》
この絵画では、人々が酔っ払って、歪んだ顔で歌っている様子が描かれています。
ここには様々な社会階層の人物が描かれています。手前には質素な身分の集団がおり、奥には帽子をかぶった上流階級や尼僧の姿も見えます。
まるで一続きの塊になった生き物のようにすら見える群衆の行列は、ゴヤが繰り返し描いたモチーフでした。これは、個人が集団となり非人間的な性質を帯びていくことへの批判が描かれているとも言われています。
この絵に見られる独特の表情の描写や限られた色数は、ベルギー出身の表現主義画家であるジェームズ・アンソールの先駆けとも言われています。
《砂に埋もれる犬》
この一枚は上部の黄土色の荒れた「空」と、右上に傾斜するにつれて暗転する小さく傾斜しながら湾曲した暗褐色の「坂」の、不均等な2つのセクションに分かれています。
坂の斜面からは、鼻先を持ち上げて上を見る犬が頭だけをのぞかせています。
さらにそのすぐ隣にはぼんやりとかすれた暗い形が犬の上に迫っているようにも見えます。このうっすらとした影は、《砂に埋もれる犬》が描かれる前に同じ壁面に描かれていた別の絵の名残が透けているものと考えられます。
美術評論家ロバート・ヒューズは「この絵が何を意味するのかは分からないが、そのパトスは私たちを物語の下のレベルに移動させる」と述べています。
《二人の老人》
この作品では、修道士の格好をした老人が全面に描かれ、彼に耳打ちしているように見える男の姿がそのそばに描かれています。
口を開けた横の人物は非常に戯画的な表情で描かれており、これはゴヤの耳が聞こえないことを暗示していると言われています。
自身の聾者としての姿、それにうるさく叫び立てる他者という、精神的な苦痛をもたらしていたイメージの具現化であると考えられます。
《読書》
ここに描かれている人物たちが何者なのかは諸説ありますが、一説によれば彼らは新聞で自分たちの評判を確かめている政治家たちだと言われています。
近年のX線分析によれば、この絵の下には全く異なる図柄の絵が隠されており、一度描かれてから大胆な描き直しが行われたことがわかっています。
この絵は、《自慰する男を嘲る二人の女》という別の「黒い絵」と似たサイズ・設定・構図で描かれており、姉妹絵画とも言われています。
《ユディトとホロフェルネス》
『ユディト記』の物語からとられたテーマのこの作品には、ホロフェルネスを誘惑し頭を切り落とすユディトの姿が描かれています。
「黒い絵」の中でも、明瞭に過去の神話から採用された人物としては数少ないもののうちの一つです。
また、左下には祈りを捧げる老女の姿がほのかな光によって輪郭で見えてきます。
《自慰する男を嘲る二人の女》
この作品の意図するところは、非常に不明瞭です。
背景には設定やディテールがなく、この人たちが誰なのか、何をしているのか、どこを舞台にしているのか、といった文脈は示されていません。
画面右側にいる男性は本当に自慰行為をしているのか描写からは定かではありませんが、美術評論家のフレッド・リヒトによれば、「彼の顔の病的な笑みは、確かにある種の性的強迫観念を示している」と言われています。
二人の女性は娼婦であると考えられています。
彼は、人間のありのままの姿を描く際には、粗野なまでに冷静で現実的でした。しかし、性的な場面を描く際にはしばしばこっけいで控えめに描きました。
《サン・イシードロの泉への巡礼》
巡礼をする集団を描いたこの絵画は、「黒い絵」の中では最も明るい色調で描かれたものの一つです。
《サン・イシードロの巡礼》とも共通点を持つこの絵画は、手前にはより尼僧の姿が多く見られるのが特徴です。
ちなみに、「サン・イシードロ」という名前は、「黒い絵」が描かれた家である「聾者の家」のスペイン語「Quinta del Sordo」とかなり似た発音であることも深い関係があると考えられています。
《レオカディア》
この作品には、ゴヤのメイド・友人・かつ(おそらく)恋人であったレオカディア・ヴァイスという女性が描かれています。
彼女は葬式用のマジャのような暗い服を着て、マントルピースか墳墓のようなものに寄りかかり、悲しげな視線を投げかけています。
レオカディアは、「黒い絵」の最後の1点です。
作家のフアン・ホセ・ジュンケラは、この作品はメランコリーの擬人化、あるいは画家とモデルの関係から「愛と家庭の炎と来るべき死の予感の象徴」であると書き残しました。
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