《我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか》は、フランス出身の画家ポール・ゴーギャンによる絵画作品です。
長く深遠な哲学的問いを思わせるそのタイトルと、巨大な壁画のようなサイズも相まって、ゴーギャンの発表した中でも最も有名な作品となっています。
画家ゴーギャンの半生
株式仲買人から一転、画家の道へ
ゴーギャンは、画家になる以前は銀行に勤め、株式仲買人の仕事をしていました。この仕事はおよそ11年間続け、そこそこの成功と収入を手にしていたといいます。
自身でも絵画の売り買いをしていましたが、ある時から絵画の道に目覚め、アマチュア画家として地道にパリで活動をし始めます。
そこでは印象派の画家のピサロなどから絵画の手ほどきを受けながら、確かな絵の技術を身につけていきました。
《裸婦の習作(編み物をするスザンヌ)》1880年
画家としての南の島への旅
しかし、1882年、パリの株式市場が大暴落。
これにより収入が激減したゴーギャンは、画家としての仕事をメインにしていくようになります。
この頃は、フランス北西部のポン=タヴァンの地へ旅行し、現地の画家たちと交流をしていました。他にも、フランスの海外県の一つであるカリブ海に位置するマルティニーク島に滞在も実施。
《花を持つ女》1891年
このような原始的な海外の地での経験で、自らが描く絵画も明るさや独特の様式を獲得したゴーギャンは、ヨーロッパ文明と「人工的・因習的な何もかも」からの脱出を図るため、1891年、ゴーギャンはポリネシアにあるタヒチ島に旅行します。
タヒチ島での経験
《我々はどこから来たのか》は、二度目のタヒチ滞在時代の1897年から1898年の間に描き上げられました。
本作は高度に独自の様式化された神話の世界を描いた他の作品と同様に、ゴーギャンの代表作とされており、ゴーギャンの精神世界を最もよく描き出している作品と言われています。
画家としての評価とは裏腹に、落ちぶれた家庭生活を送っていたゴーギャンが、自分の理想郷を投影したのが本作だと解釈する研究者も多くいます。
《我々はどこから来たのか》に込められた意味
少年の頃からの問い
非常に長く意味深なタイトルを持つ本作は、「まるで福音書のように哲学的な作品である」と評されています。
ゴーギャンは11歳から16歳の時、オルレアン近郊に位置する教会学校で、カトリックの司祭による典礼の授業を受けていました。
そこではカトリックの公教要理が教えられていました。
公教要理が教えるのは、ひたすらに問うていくような方法です。この中で最も重要とされている三つの問いが、
「人類はどこから来たのか」
「人類はどこへ行こうとしているのか」
「どのように人類は進歩していくのか」
となっています。晩年はアンチカトリック的な思想を表明していたようですが、この深淵で哲学的な問いは、結局ゴーギャンの人生において重要な意味を持ち続けたようです。
人生の受難に見舞われる
《我々はどこから来たのか 》を制作している頃、人生を変えるような大きな出来事がいくつもゴーギャンを襲っていました。
熱帯ならではの環境に身体が慣れていなかったゴーギャンは皮膚炎または湿疹にかかっていた上、梅毒、結膜炎も発症していました。
さらに財政状況がどんどん悪化し、借金を抱え始めます。
さらには、コペンハーゲンにいた家族から娘の死を知らされたゴーギャンは多大なショックを受け、失意の底に沈みます。
1897年の秋、《我々はどこから来たのか 》を仕上げたゴーギャンを、娘の死が襲います。当時家族はコペンハーゲンに移住しており、家庭を顧みずにやりたい放題だったゴーギャンも、最愛の娘の死は特にショックだったようです。
生まれる命、失われれていく命というテーマもこの絵画に表現されています。
画面右から左へと流れる女性の人生の物語
非常に横幅の長いこの絵画は、3つの大きなグループに分けることができ、それぞれがタイトルに関係するテーマを象徴しています。
右側は「我々はどこから来たのか」 - 「人生のはじまり」です。
右側に見られる3人のしゃがんだ女性と眠っている子どもは人生の始まりを表しています。
真ん中のグループは成人期を表します。
日常の中で、リンゴを収穫し食べ物を採集する姿が描かれています。
このリンゴというモチーフは、エデンの園で禁断の果実であるリンゴを食べてしまったアダムとイヴを想起させるものになっています。
すなわち、人類の原罪が形になったのが、最も目立つ中央手前の女性だと言えます。
左側のグループは「老い」を表していて、顔をしかめて逃げるような姿勢を見せている老女が描かれています。
また、画面左上にはタイトルの原文フランス語版「D'où Venons Nous / Que Sommes Nous / Où Allons Nous」が記されています。
《我々はどこから来たのか》の来歴
現在、この作品はアメリカ・マサチューセッツ州の所蔵されているボストン美術館のキュレーターは、この絵画の所有者の記録を更新し続けており、これは来歴がまだ完全なものではないことを意味しています。
最初の記録として、1898年にゴーギャンがこの絵画をフランス人画家・美術収集家ジョルジュ=ダニエル・ド・モンフレェに送っているのが確認されています。
その後、何人かのパリやヨーロッパの画商、収集家の手に渡り、1936年にニューヨークのマリー・ハリマン・ギャラリーが入手しました。
ボストン美術館がこの絵画をマリー・ハリマン・ギャラリーから購入したのは、1936年4月16日のことでした。
この作品は、シカゴ美術館で開催された「セザンヌからピカソまで」という展覧会で、2007年2月17日から5月12日まで展示され、それ以来もと通りボストン美術館に展示されています。
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