昨今のビジネスシーンで話題になっている「アート思考」。アーティストが作品を作るときの思考法をビジネスにも活用しようという発想ですが、実際に評価されているアーティストたちはどのような経緯や動機で作品制作を行なっているのでしょうか?
今回は、お馴染みのアーティストから日本ではあまり名前を聞かないけれど世界的には評価の高いアーティストを含めて、十人十色のアート思考法を実際の作品に即して見ていきましょう!
マルセル・デュシャン
《泉》|1917
「現代美術」の創始者として著名なマルセル・デュシャン(1887 - 1968)の作。この作品はレディメイド(既製品)芸術の代表作として名高いものです。
磁気の男性用小便器に「R.Mutt」と署名することで、既製品をも作品と呼べるだろうと主張したものです。当時は多くの反感を買いましたが、現在では芸術の概念や制度自体を問い直す記念碑的作品として、現代アートの出発点とみなされることが多い作品です。芸術作品とは、元から絵画であるから芸術作品であったり、伝統的な意味で美しいから芸術作品であるわけではないのだという「芸術概念」の読み替えを要求するものとも言えます。
ここに見られるアート思考は、既存の概念を再構築することによってその可能性を拡張することだと言えます。しかし、それにどうしてもともなうのが、一般的な価値観における「劣っている」「汚い」「まともではない」という評価でしょう。それにどのように回答していくか、もしくは回答するのではなく、「う〜むなるほど」と唸らせてしまうのか。そのようなゲームは日常的に現代アートの場で行われていますが、この議論の枠組みを自身の分野に当てはめることで、自分も考えたことのないようなものを発想できるようになるかもしれません。
なお、本作はデュシャンの作と歴史的に言われてきましたが、デュシャンのレディメイド作品の多くは現在の研究によるとドイツの前衛でダダイストの芸術家・詩人の女性、エルザ・フォン・フライターク=ローリングホーフェン(Elsa von Freytag-Loringhoven)が制作したものと言われています。
ドナルド・ジャッド
《無題》|1967
ドナルド・ジャッド(1928–1994)は、20世紀のアメリカで盛んだったミニマリズムという美術運動を代表する芸術家として有名です。
箱が壁から規則的に突き出ている《無題》という作品を彼はいくつも制作しています。シンプルな箱を積み重ねただけのように見える本作は、いくつかのルールに基づいて制作されています。箱は合金でできており、側面はハーレー・ダヴィッドソンの塗装に用いられるラッカー・ペイントで塗装され、上面と下面は剥き出しの金属面です。12個の箱はそれぞれ9インチの高さで、9インチの間隔を空けて配置されています。また、ジャッドは手作りの痕跡を嫌ったため、作品のオブジェクト自体は工場で生産されていました。
これらのルールに必然性はありませんが、ある特定のルールに禁欲的に従い続けるという行為により、ジャッドはアートの形式主義(フォーマリズム)を体現しました。そこに視覚的な美しさを見出す人もいれば、上述のようなプロセスが言葉で記述された際のミニマルな感覚を新鮮だと思う人もいたでしょう。それまでの芸術作品の、さまざまな色を使用したり様々な形態を使用することである「芸術的な」感じを作り出していたところから、ほとんど全ての装飾を削ぎ落として最低限のオブジェクトに置き換えることで、新しく「芸術/ アート」を再定義することになりました。
マイナスの作業が、実は新たな創造につながることもある、そんな一例と捉えることも可能でしょう。
アンディ・ウォーホル
《キャンベルスープ缶》|1962
ポップ・アートの巨匠として名高いアンディ・ウォーホルは、1961-1962年にかけてこの作品を制作しました。シルクスクリーンという版画技法の一種で制作されたこの作品は、表面的には全く同じような、キャンバスにキャンベルのトマトスープ缶(当時から庶民的な市販食品だった)が描かれているものが32枚並んでいます。このような手法によって、ウォーホルは当時のアメリカの大衆文化と大量消費社会を痛烈に表現していました。彼は社会を必ずしも批判したかったわではないかもしれません。美術史上は、ウォーホルの功績はプリンティング(版画)の芸術的価値向上と芸術の大衆化であると言われることが多いですが、むしろ、もっと個人的な動機である「ポップスターになりたい」の方が重要なのかもしれません。ロックバンドのメンバーや俳優でなくても、「有名な現代アーティスト」もスターの仲間であるという共通認識の基盤は、ウォーホルの爆発的な人気から端を発したと言っても過言ではないでしょう。
クリスト&ジャンヌ・クロード
《梱包されたライヒスターク》|1995 Photograph: Reinhard Krause/Reuters
この夫妻は「梱包芸術」ともいうべき大規模なプロジェクトアートで有名な芸術家です。1958年、日用品の梱包から始まったこのアイディアは、だんだんと巨大な建物(ライヒスターク=ドイツのベルリンにある帝国議会議事堂)、自然や公園の風景全体を梱包するようになっていきました。「ランド・アート」といった枠組みで紹介されることも多い芸術家ですが、本人は否定しています。「作品は夢のように現れ、夢のように消えて観客の中にしか残らない」と語るこの夫妻は、梱包された建造物をそのままにすることはなく、彼らの作品は記録写真によってしか見ることができません。それぞれのプロジェクトにかかる巨額の費用は、美術館や政府や企業などから一切の援助を受けることなく、プロジェクトの完成を予想したドローイングやコラージュ作品など、クリストの手によるオリジナル・アート作品の販売でまかなっていました。夫妻の死後にも遺志を継いだ財団によってパリの凱旋門の梱包が実現され、大きな注目を集めました。
プロジェクトを実施する現地の住民などからあがる「これは芸術なのか?」という声により何度も論争になっており、一つ一つのプロジェクトは1960年代の構想からそれぞれの実現まで数年から数十年の時間をかけて実現されました。
ピエール・ユイグ
《After ALife Ahead》|2017
ピエール・ユイグ(1962 - )の作品はまるでSFのような世界観を提示しています。しかしそのSFとは、Science Fictionでもありますが、Speculative Fiction - スペキュラティヴ・フィクション- としても構想されています。そしてその作品たちは学習し・自己修正し・進化する、という知的生命体のような振る舞いを持っています。様々な学問分野やアートに限らない工学の横断によって、誰も見たことのない「環境」がアートとして提示されているのです。
ここに見られるアート思考は、もはや既存の概念分析や再定義といった言葉遊びにはおさまりません。むしろ、人間ではないものに囲まれている私たちの世界に改めて気づかせてくれるような、そしてその「人間ではないもの」を現代の様々な研究とスキルを駆使して創造するという作品になっています。
マリーナ・アブラモヴィッチ
《Rhythm 0》|1974
過激なパフォーマティヴ・アートで知られるマリーナ・アブラモヴィッチ(1946 - )は、1974年にニューヨークのギャラリーで《Rhythm 0》というパフォーマンス作品を発表しました。アーティスト自身は完全に受動的な役をつとめ、その隣に置かれた机には72個の様々なアイテムと、「鑑賞者はアーティストに対してこれらの道具を自由に使用して良い」という但し書きが添えられていました。6時間の間その空間で客体的なオブジェクトとして振る舞っていたアブラモヴィッチに、訪れた観客は最初バラを渡したりなどしていました。しかし、ハサミやナイフ、銃と一発の弾丸などの危険な道具も置かれており、次第にエスカレートしていったパフォーマンスは、一人の観客が無抵抗のアーティストに充填された銃を向けるという極点にまで達したところで終わりを迎えました。
社会実験のようなこの展示において、アーティストは「社会的結果が伴わない空間において、人間はどこまで残虐になれるのかを試したかった」と言います。
パフォーマティヴ・アートの中でも社会的・政治的要素の強い彼女の作品は、ある種過激にも見えるその要素は、過激であるために過激であるのではなく、人間の本質を炙り出すために必要な方策だったと言えます。
オラファー・エリアソン
《The Weather Project》|2003
オラファー・エリアソン(1967 - )は、設置場所に応じた(サイト・スペシフィックな)インスタレーション作品を作ることが多い作家です。自然現象や建築物に大きな興味を持ち、時には機械等も用いて自然現象を思わせる空間を作ることで鑑賞者の視覚や認識を揺り動かすことをねらっています。この作品では、夕陽のようなオレンジ色の巨大な光源が美術館の中に再現されています。
生まれ故郷のアイスランドの厳しい自然が彼のアートに大きな影響を与えていると言えるでしょう。そこには、美しく壮大な地球の働きー氷河、大陸の断面、冷たい海ーが存在する一方、地球温暖化の影響も顕著に出てきている地域でもあります。光や水の現象を再現した芸術作品を通してアートにしかできない問題提起の仕方をしているという点で、エリアソンはアート思考と社会を接続する人物だと言えます。
ヒト・シュタイエル
Factory of the Sun|2015, Courtesy of Andrew Kreps Gallery, New York
ヒト・シュタイエルは、映像作家、そしてエッセイ・ドキュメンタリーの分野でも革新的な仕事をしているアーティストです。テクノロジーやイメージの世界的な流通、そして特にイメージが社会に与える影響に関心を持っています。主に映像作品で知られており、映画の境界を拡張し、コンセプチュアルながらも現代の重要な問題を扱っており、評価の高いアーティストです。
作品では、フィクションと事実、CGとドキュメンタリー映像が混在しています。軍国主義、監視社会や代替経済の台頭など、全ての人が自分ごととして捉えられるような現代的な問題をテーマにしています。しかし堅苦しくお説教的な作品に終始することなく、ポップさとユーモアを組み合わせてプレゼンされています。
扱うテーマがどれほど重かろうと、アートであるからにはある軽さが必要でしょう。そのような軽やかな視点とスキルの交錯は、他分野で活躍するあなたにも役立つような批判的な思考に支えられているはずです。
マーク・ブラッドフォード
《BLACK VENUS》| 2005 © Mark Bradford (courtesy the artist and Hauser & Wirth) photo: Bruce White
マーク・ブラッドフォードは、主に抽象画を制作している現代美術家です。絵具とコラージュを組み合わせたグリッド状の大規模な作品で知られ、ポスターの残骸や名刺など、日常生活のアイテムを取り込んでいるのが特徴的です。ブラッドフォードは作品の中で、権力者によるコミュニティや社会的弱者の疎外など、社会的・政治的問題を探求しています。彼は自身の作風を「社会的抽象画」と表現しています。
絵画という伝統的な形式に則りつつも、どのように現代社会を切り取れるのか。このような挑戦は、自分の強みを活かした上で周りの環境をも取り込んで思考を展開するという現代ビジネスパーソンにも共通する思考の枠組があると言えます。
バンクシー
近年日本でも人気の高いストリート・アーティストのバンクシーは、社会に対するメッセージを印象的なイラストとテキストで街の壁に書きつけていくというスタイルをとっています。ステンシルと呼ばれるこの手法は、あらかじめ描きたい形に穴の空いた型を作っておき、それを壁にかざしてスプレーを噴きつけることで警察に見つかる前に素早く落書きを残すことを可能にします。一般的にはアートというよりも違法行為としてカテゴライズされることの多い手法をあえて使用するのは、彼のメッセージの伝えたい相手やその伝え方が、街を歩いている私たちであるということによります。
一見批判の多いやり方でも、周りを巻き込んで「正解」を自分で創造してしまえばいい。ある種危険な方法論ではありますが、ここから部分的にでも学べるポイントはたくさんあるでしょう。