ゴッホの《ひまわり》とは?
誰もが一度は美術の教科書やポスターなどで見かけたことがあるであろう絵画。それはフィンセント・ファン・ゴッホによる《ひまわり》です。
ゴッホの代表作とも言える、花瓶とともに描かれている《ひまわり》は、現在全部で6枚あります。意外と数がありますよね。
実は、制作されたのは7点でしたが、一枚は日本人が個人で所有しており、1945年の米軍の空襲により焼失してしまいました。
それぞれを収蔵している美術館の場所にちなんで「〇〇版」と呼ばれることが多いのが特徴です。
また、有名なものは花瓶に生けられた《ひまわり》ですが、実は「パリのひまわり」と呼ばれている、それ以前に描かれた異なる構図の作品も4点現存しており、それらを含めれば11点ものゴッホの《ひまわり》が存在しています。
ひまわり、パリ時代
「パリのひまわり」と呼ばれる最初の4枚は、1886〜87年のあいだにパリで描かれました。
このシリーズの以前にも、他の花とともに静物画の中にひまわりが描かれることはしばしば見かけられました。
パリのひまわりについては、のちの1889年のゴーギャンとの手紙のやり取りの中で言及されるまで、その存在は知られていませんでした。
《ひまわり(F375)》1887年|メトロポリタン美術館(アメリカ合衆国、ニューヨーク)
《ひまわり(F376)》1887年|ベルン美術館(スイス、ベルン)
《種になった4つのひまわり (F377)》1887年|ヴァン・ゴッホ美術館(オランダ、アムステルダム)
《種になった4つのひまわり(F452)》1887年|クレラー・ミュラー美術館(オランダ、オッテルロー村)
ちなみに、F〇〇というのは、カタログ・レゾネという、画家の全ての作品をユニークな番号で識別して記載している作品全集での番号を表しています。
パリのひまわり習作シリーズは、ひまわりの花弁がすっぽりおさまるような構図、全体的に暗い背景を用いており、初期のゴッホの絵画の重々しい雰囲気を受け継いでいます。
あくまで習作として制作されたこの4枚のひまわりは、丹念な観察を通してモチーフに忠実に描かれています。
下の画像のひまわりは、《ひまわり》シリーズ以前に静物画に取り入れられていたひまわりの作品です。
《バラとひまわり》1886年|マンハイム美術館(ドイツ、マンハイム)
ひまわり、アルル時代
有名な花瓶に生けられたひまわりのシリーズが、「アルルのひまわり」と呼ばれています。
こちらのシリーズは、1888年夏に制作されました。
ゴッホがアルルに持ち、ゴーギャンとの共同生活で使うアトリエ、「黄色い家」を飾るために描いていたと言います。
弟のテオにあてた手紙には、このように記されていました。
「今、ゴーギャンと一緒に自分たちのアトリエに住み込んで仕事をしようとしているんだ。それを、大きなひまわり以外なにもない絵で飾りたいと思ってる。マルセイユ人がブイヤベースを食べるような勢いで描いているのだから、大きなヒマワリを描くぐらいのことでは驚かないだろう。」
以前の周作と比べると大きなサイズのキャンバスに描かれています。構図の面では、花瓶に溢れるように活けられたひまわりが明るい背景で描かれているものが多く、アルルという南仏の地で発見した太陽の輝きが反映されています。
1枚目のひまわり
1888年8月、アルルのひまわりシリーズとして最初に描かれたのがこちらの作品です。
生き生きとしたひまわり自体の描写もとても魅力的ですが、同時に、ひまわりの色と呼応するような黄色が机の茶色に使われていたり、明るいターコイズブルーの色彩や花瓶の黄緑色が主役の色彩を引き立てています。
《ひまわり (F453)》1888年|個人蔵
2枚目のひまわり
このひまわりは、日本人の山本顧彌太(こやた)という実業家が1919年に7万フラン(現在の価格で約2億円)という高額で購入しました。
山本は文学者の武者小路実篤、および彼が率いていた白樺派という文学グループのパトロン的存在になっていました。
そして、白樺派美術館を建設しようという構想のもと、ゴッホの《ひまわり》が購入され、日本国内の展覧会で何度か展示されました。
しかし美術館構想は頓挫したために、所有者である山本が住む神戸・芦屋の邸宅に飾られていましたが、1945年の米軍空襲により焼失してしまいました。
希少な美術作品が戦火により失われてしまったのは、とても勿体ないことと言えます。
《ひまわり (F459)》1888年|1945年空襲で焼失するまで日本人の個人蔵
3枚目のひまわり
ミュンヘン版とも言われるこの作品では、《ひまわり》シリーズの中でも最多の12本のひまわりが描かれており、最も豪華な作品と言えるでしょう。
印象派から出発したファン・ゴッホの、筆触(タッチ)を大胆に残すスタイルも見られつつ、より特徴的な変化が見られます。
F453(1枚目)のひまわりでは、机の色は現実の木材の色を観察した結果茶色で表現されていましたが、このひまわりでは、ほとんど花びらと変わらない黄色が使われています。黄色の同系色でまとめることにより、種の部分の深い赤色などがより効果的に魅せられています。
《ひまわり (F456)》1888年|ノイエ・ピナコテーク(ドイツ、ミュンヘン)
4枚目のひまわり
複数ある中でも最も有名なのが、ロンドン版のひまわりです。
ロンドン版には15本のひまわりが描かれています。
ゴッホとおよそ4ヶ月ほどの短い共同生活を送ったゴーギャンも、このひまわりを特に絶賛していました。
3枚目と同様に黄色の同系色でまとめられつつも、さらに繊細な色彩の違いや絵の具の充実度を見せており、完成度の点で最も質の高い作品と評されています。
おそらくゴッホのひまわりと言って示されるのは、大抵の場合このロンドン版のひまわりでしょう。
《ひまわり(F454)》1888年|ナショナル・ギャラリー(イギリス、ロンドン)
5枚目のひまわり
上記のアルルのひまわりを、ゴッホ自身が複製模写したものがさらに3枚確認されています。
これはミュンヘン版(F456)の模写バージョンです。
確かに、よくみると一本一本の花の様子はほとんど同じですね。
しかし、種の部分や花瓶の輪郭線の色をより鮮やかな赤色に変更していたりと、マイナーチェンジが見られます。
ゴッホが自身の作品を模写したのは、ゴーギャンと住むためアルルに構えたアトリエ「黄色い家」の壁を飾るためだったと言われています。
《ひまわり (F455)》1889年、 F456のコピー|フィラデルフィア美術館(アメリカ合衆国、フィラデルフィア)
6枚目のひまわり
アムステルダム版と呼ばれているこの作品は、おそらくゴッホ自身によって、作品上部に木片が継ぎ足されています。
ロンドン版のコピーであるこの作品も、一枚だけでみるととてもそれ自体の魅力が感じられます。
15輪のひまわりは、より鮮やかに描かれています。
ゴッホの有名な「耳きり事件」の後、病院から退院してから描かれた作品だと言われています。
《ひまわり (F458)》1889年、F454のコピー|ヴァン・ゴッホ美術館(オランダ、アムステルダム)
7枚目のひまわり
この《ひまわり》は東京のSOMPO美術館に所蔵されており、恒久展示されていますのでぜひ実際に足を運んでみてください。
1987年、53億円という超高額で購入されました。
この額は、当時の一枚の絵についた額としても最高額でした。
ひまわりを購入してから、当美術館の年間入場者数は前年の8倍ほどにまで伸び、日本人の間でのゴッホ人気に火をつけることとなりました。
ゴッホの絵画は、深い知識をもとに作品の意味を追求するような見方というよりは、現に描かれているもの画面の魅力を存分に味わうことができるため、多くの鑑賞者に受け入れられやすいものだったのでしょう。
《ひまわり (F457)》1889年、 F454のコピー|SOMPO美術館(旧損保ジャパン美術館)、東京
ロンドン版ひまわりは、ロンドンのナショナル・ギャラリーに所蔵されているもので、2022年10月に「Just Stop Oil」キャンペーンを掲げる環境保護活動家によってトマト缶を投げつけられてしまった作品です。
作品へのダメージはありませんでしたが、額に多少の傷がついたと言います。2人の活動家は逮捕され、作品は清掃をへて当日中に展示室に戻されました。
今一度、歴史的な芸術作品との向き合い方とその保護を考えさせられるきっかけとなった事件でした。
参考文献
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