アルフォンス・ミュシャ|Zodiac calendar for La Plume, 1897
アール・ヌーヴォーとは?3点要約
💡日常の道具や家具を美しく装飾する
💡自然のモチーフの曲線や優美さを讃える
💡日本美術の影響が色濃い
概要
アール・ヌーヴォー(Art Nouveau)とは、19世紀末から20世紀初頭にかけてヨーロッパで開花した美術様式のことです。フランス語で「新しい芸術」を意味します。花や植物などの有機的なモチーフや、自由曲線の組み合わせによる従来の様式に囚われない装飾性、また鉄やガラスといった当時の新素材を使って作品を作っているのが特徴です。
分野としては建築、工芸品、グラフィックデザインなど多岐にわたっています。現代におけるファイン・アート(純粋芸術)にはとどまらない、民衆にも簡単にアクセスできる芸術として様々なメディアで活動が行われていました。そのため、画家たちの作品は従来の油絵だけではなく、ポスターなどの装画にも露出の場を増やしました。
アール・ヌーヴォーの代表的な作家
最も有名なのはアルフォンス・ミュシャでしょう。その華麗で端正な女性像などの絵画は様々なメディアで使われ、存命中から高い人気を誇りました。もっとも、本人はアール・ヌーヴォーの作家であるとカテゴライズされることを嫌いました。むしろスラヴの歴史画家であるという自負を持っていました。息子で伝記家のジリ・ミュシャによれば、父のアルフォンスは「芸術が新しいことであるわけがないだろう」と述べていたと言います。
アルフォンス・ミュシャ|Slavia, 1908
アール・ヌーヴォーと関係の深い作家は、象徴主義やナビ派の画家でもありました。フェルナン・クノップフはベルギーの象徴主義を代表する作家です。存命期よりカルト的な人気を集め、建築のデザインや舞台装飾にも携わりました。また、1898年の第一回ウィーン分離派展に出品したクノップフの作品は、グスタフ・クリムトに影響を与えたといわれています。
フェルナン・クノップフ|Portrait of Marguerite Khnopff, 1887
コロマン・モーザーも重要な作家の一人です。デザイナーとして家具のデザインからグラフィックデザインまで幅広く手がけました。
コロマン・モーザー|Venus in the Grotto, ca. 1914
ウジェーヌ・グラッセはアール・ヌーヴォーの先駆者とも呼ばれる人物です。日本美術は彼の仕事に大きな影響を与えました。
ウジェーヌ・グラッセ|グラフトン・ギャラリーの装飾芸術展覧会ポスター,1893
ウィル・H・ブラッドリーはアメリカ合衆国のイラストレーターで、サタデー・イブニング・ポストによると20世紀初頭に最も報酬を得たグラフィック・アーティストでした。
ウィル・H・ブラッドリー|Poster for The Chap Book, 1894
ガラス工芸や陶器の分野では、エミール・ガレが著名です。1878年、パリ万国博覧会に独自に開発した「月光色ガラス」(酸化コバルトによって淡青色に発色させた素地)や陶器を出品し、銅賞を受賞しました。他にも技法を開発し、一世を風靡しました。
エミール・ガレ|Crackled glass vase with praying mantis overlay, c. 1880
金細工師、宝飾デザイナーとしては、ルネ・ラリックが挙げられます。乳白色で半透明のオパルセント・グラスという素材を好んで用いました。このガラスは光の当たり方によって色合いが微妙に変化します。21世紀の今日まで存続するラリック社の創造者でした。
ルネ・ラリック|Spirit of the Wind
ティファニー社創業者のチャールズ・ルイス・ティファニーの息子であるルイス・カムフォート・ティファニーも、アメリカにおけるアール・ヌーヴォーの第一人者として知られ、主にステンドグラスやモザイク加工のガラスランプの製作などにおける芸術家として名を馳せました。
ルイス・カムフォート・ティファニー|Girl with Cherry Blossoms, c. 1890
建築の分野では、ヴィクトール・オルタやアンリ・ソバージュなどがいます。
ヴィクトール・オルタ|Entrance of Hôtel Solvay in Brussels, 1898
アンリ・ソバージュ|Detail of the facade of the Villa Majorelle in Nancy, 1901–02
アール・ヌーヴォーの理論と歴史
アール・ヌーヴォーの理論的先駆はヴィクトリア朝イギリスのアーツ・アンド・クラフツ運動に求められるでしょう。ウィリアム・モリスやジョン・ラスキンらが中心となり推進されました。
工業化の進行とそれによる創造性の枯渇を厭い、社会の再生は人々が日常的に使う道具のフォルムの真正性によってしか成されないのであると説きました。
それにともない、中世のギルドの精神や自然界のモチーフの研究、洗練されたフォルムへの回帰が強く勧められました。
参考文献