ウジェーヌ・ドラクロワ|Death of Sardanapalus, 1827
ロマン主義とは?3点要約
💡個人の愛情・苦悩などの感情を題材にしている
💡荒い筆致や厚塗りの表現の発端となった
💡同時代的なモチーフを取り入れ始めた
ロマン主義前夜
ロマン主義とは、美術のみならず政治・文学・音楽など多分野で興隆した精神運動の一つです。それまでの時代の理性偏重、合理主義などに対して感受性や主観に重きをおいているのが特徴です。その点、古典主義とは対をなしています。掲げるコンセプトとしては、恋愛賛美・民族意識の高揚・中世への憧憬といったメッセージをもっていました。大きな視野で見ると、このようなメッセージを受けとった市民の活躍によって近代国民国家形成が促されました。
ロマン主義の道程と代表的な作家
最初期のロマン主義画家は、それぞれ1774年と1775年生まれのカスパー・ダーヴィト・フリードリヒとJ.M.ウィリアム・ターナーです。両者ともに風景画を中心として制作を行い、ロマン主義的な「激しく」「情熱的な」描写を実現しました。特にターナーは、海景を描いた絵画の荒々しい筆遣いに正確な形態ではなく印象を捉えるような視点がうかがえます。この点で、しばしば印象主義の祖先としても名前があがることの多い画家です。
カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ|Wanderer above the Sea of Fog, 1818
J.M.ウィリアム・ターナー|Snow Storm: Steam-Boat off a Harbour's Mouth, 1842
また、サミュエル・パーマーやウィリアム・ブレイクもイギリスにおいてロマン主義を実践した芸術家です。ただし、ウィリアム・ブレイクは画家であると同時に詩人として歴史に名を刻んでおり、詩人として名前を聞いたことがある方も多いかもしれません。
サミュエル・パーマー|A Cornfield by Moonlight with the Evening Star, 1830
ウィリアム・ブレイク|The Great Red Dragon and the Woman Clothed with Sun, 1805
フランスにおける盛んなロマン主義は、はやくはアンヌ=ルイ・ジロデ=トリオゾンといった作家に見られます。彼は古典主義の代表的な画家ジャック=ルイ・ダヴィットの弟子でした。ジロデが新しいスタイルで描いたOssian receiving the Ghosts of the French Heroes (1801)を発表した時、ダヴィットは
「ジロデが狂ったか、もしくはわしが絵の描き方について何もわからなくなっちまったか、どちらかだ」
と言ったといわれています。
アンヌ=ルイ・ジロデ=トリオゾン|Ossian receiving the Ghosts of the French Heroes, 1801
より独特の物語を背景にしたロマン主義的作風は、テオドール・ジェリコーに見られます。彼の代表作《メデューズ号の筏》では、実物大でフランス海軍のフリゲート艦メデューズ号が難破した際に起きた事件が表されています。
テオドール・ジェリコー|Le Radeau de la Méduse, 1818 - 1819
ウジェーヌ・ドラクロワは、《キオス島の虐殺》などの絵画で一躍有名になりました。また、詩人のバイロンが詠んだ詩の光景を多数絵画にしており、自身の北アフリカでの従軍経験で目にしたアラブの人々を様々な描き方で表現しています。最も有名なのは、《民衆を導く自由の女神》でしょう。ジェリコーの《メデューズ号の筏》とともに、フランスロマン主義を代表する作品として名を残しています。両者ともに時事的な主題を描くことにより「現代の物語画=記録・報道画」としての役割を果たしています。
ウジェーヌ・ドラクロワ|La Liberté guidant le peuple, 1830
スペインで活躍したフランシスコ・デ・ゴヤは「思考と実践が調和する破綻のない一体感を作り上げた、最後の巨匠」と称賛されています。ただ、ゴヤをロマン主義の一員として数えるか否かについては意見が分かれるところです。彼の作品にしばしば登場する不条理性や悪魔的な生き物は、表面的にのみ北ヨーロッパのゴシック趣味に共通点を持っていますが、描写方法自体は古典主義的な手法を使っています。それでも、主題の面では想像や夢の世界を描く点に彼の当時のスペインにおける革新性を確かに認めることができます。また、手法の面でも明快な筆致や厚塗り(インパスト)によって新古典主義からは一線を画しています。
フランシスコ・デ・ゴヤ|Yard with Lunatics, 1794
ロマン主義の彫刻家たち
彫刻の分野ではフランソワ・リュード、オーギュスタン・プレオーなどがいます。彫刻では、当時の主流の素材である大理石という物質じたいが絵画より物理的制限があることで、奔放な表現は絵画に比べるとそこまで発達しなかったと言えるでしょう。人物像の表情に強調した表現が見られるのが大きな特徴です。
フランソワ・リュード|Neapolitan Fisher Boy Playing with a Tortoise, 1831–33
オーギュスタン・プレオー|Jupiter et le Sphinx, 1868
ロマン主義を俯瞰する
ロマン主義の底流に流れているものは、古典主義や教条主義が重きを置かなかった「個人」が持つ根本的独自性の重視や、自我の欲求によって引き起こされる実存的不安といった特性でした。それには、様々な感情—憂鬱・不安・動揺・苦悩・愛情などが含まれます。
それらを表現する際に、古典主義のような安定して理想的なモチーフや手法はそぐわないのです。それにより、芸術家たちはエキゾチスム・オリエンタリズム・神秘主義・夢などといった題材を好みました。
この主張は、やがて写実主義・自然主義へと継承されることになります。
付録:「ロマン」の語源
ローマ帝国時代のラテン語には、文語としての古典ラテン語と口語としての俗ラテン語が存在したました。しかしその差はさほど大きくありませんでした。時代がくだり衰退期に入ると、文語と口語の差は徐々に広がり、やがてひとつの言語の変種とは呼べないほどにその違いは大きくなります。その結果、文語は古典ラテン語の知識のない庶民には理解困難なほどになってしまいました。
対して、その時代の口語のほうをロマンス語と呼びます。ロマンス語で書かれた文学作品はロマンスと呼ばれるようになり、ギリシャ・ローマの古典文学の対立概念とされるようになりました。ロマン主義(ロマンティシズム)の語源はここにあります。美術ではなく文学において、最初に「ロマン」が成立したのです。ドラクロワがバイロンの詩を好んだのもそのような時系列に従っています。すなわち、ロマン主義の「ロマン」とは、「ローマ帝国の(支配階級、知識階級ではなく)庶民の文化に端を発する」という意味を持っています。
Grand Staircase of the Paris Opera by Charles Garnier (1861–75)
参考文献