グスタフ・クリムト《アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像 I》1907年|ノイエ・ガレリエ所蔵
耽美主義とは?3点要約
💡真・善・美の中でも「美」に最高の価値を置く
💡同性愛や性的倒錯が描かれることも多い
💡描写自体は作家により様々に個性的な表現方法が見られる
耽美主義のコンセプト
「この絵の意味は美そのものだ。存在することだけが、この絵の存在理由(Raison d'être ) なのだ」
(アルジャーノン・スウィンバーン、詩人)
これが耽美主義の本質を説明しています。ロマン主義と同様、耽美主義も美術というよりは文学の中で一つの思想として確立されました。
文学者の中ではオスカー・ワイルドなどが代表的です。19世紀の末に近づくにつれ、この運動はデカダンス(退廃的文化)の様相を呈した反社会的な動きとなっていきました。また、耽美主義は当時ヨーロッパを席巻していた楽観的な進歩主義へのアンチテーゼでもありました。すなわち、前時代の存在に嫌気がさし、それを否定するための主張であったともいえます。
耽美主義の代表的作家たち
①オーブリー・ビアズリー
ビアズリーは、悪魔的な鋭さを持つ白黒のペン画で鬼才とうたわれましたが、病弱ゆえに25歳で死去しました。
オーブリー・ビアズリー《孔雀の裳裾》1893年
②ギュスターヴ・モロー
モローは聖書やギリシャ神話をおもな題材とし、想像と幻想の世界をもっぱら描きました。
彼の作品は19世紀末の画家や文学者に多大な影響を与え、象徴主義の先駆者とされています。
ギュスターヴ・モロー《出現》1876年|オルセー美術館所蔵
③オディロン・ルドン
ルドンは、初の石版画集『夢の中で』の頃から、当時の生理学や科学が投げかけていた疑問・問題意識である不確かな夢や無意識の世界に踏み込んだ作品を多く発表しました。
それらは断頭や目玉など、モノクロの版画であることもあって絶望感もある作品群にも見えます。
しかし同時に、人間の顔を具えた植物のようなものや動物のような顔で笑う蜘蛛など、どこか愛嬌のある作品も描きました。
オディロン・ルドン《アポロンの戦車》1909年|愛媛県美術館所蔵
④グスタフ・クリムト
クリムトは、赤裸々で官能的なテーマを多く描いた画家です。
甘美で妖艶なエロスと同時に、常に死(タナトス)の香りが感じられます。
また、「ファム・ファタル Femme Fatale」(宿命の女)というのも多用されたテーマです。
《接吻》に代表される、クリムトのいわゆる「黄金の時代」の作品には金箔が多用され、絢爛な雰囲気を醸し出しています。
このような装飾的なスタイルはドイツでは「ユーゲント・シュティール」とも呼ばれ、フランスにおけるアール・ヌーヴォーなどの装飾芸術の復活運動に共鳴しています。
グスタフ・クリムト《接吻》1907–08年|ベルヴェデーレ宮殿オーストリア絵画館所蔵
⑤エゴン・シーレ
シーレは、耽美主義・ウィーン分離派を初めとして象徴派や表現主義に影響を受けつつも、独自の絵画を追求しました。
強烈な個性を持つ画風に加え、意図的に捻じ曲げられたポーズの人物画を多数制作し、見る者に肉体的・皮膚感をともなった衝撃を与えるという作風から、耽美主義というよりはむしろ表現主義の分野において取り上げられる場合が多い画家です。
エゴン・シーレ《死神と女》1915年|ベルヴェデーレ宮殿オーストリア絵画館所蔵
⑥フェリシアン・ロップス
ロップスは、エッチングやアクアチント技法の版画家でもある画家です。
ロップスは1864年、晩年のシャルル・ボードレールと出会い、一生忘れることのできないほど強烈な印象を受けたといいます。
その後彼はボードレールの『漂着物』の口絵を描きました。
この本は、フランスの検閲で削除された『悪の華』の詩を集めたものでした。
フェリシアン・ロップス《毒麦の種を蒔くサタン》1882年|フェリシアン・ロップス美術館所蔵
⑦ジェームズ・マクニール・ホイッスラー
ホイッスラーはアメリカ出身の画家で、日本美術や印象者の影響を強く受けた絵画を制作しました。
彼は現実世界を二次元平面に再現することよりも、色彩と形態の組み合わせによって調和のとれた画面を構成することを重視していました。
作品の題名に「シンフォニー」「ノクターン」「アレンジメント」などの音楽用語を多用することも、絵画は現実世界の再現ではなく、色彩と形態から成る自律的な芸術だとする彼の姿勢の反映といえるでしょう。
こうした彼の絵画に対する考えは、印象派やセザンヌなどに通じるものです。
しかし、対照的にホイッスラーの用いる色彩は地味で、モノトーンに近い作品も多く、鮮やかな効果を追い求めた印象派の作風とは一線を画しています。
ジェームズ・マクニール・ホイッスラー《灰色と黒のアレンジメント第一番 母の肖像》1871年|オルセー美術館所蔵
耽美主義とデカダンス(退廃芸術)の関係
耽美主義は、20世紀末に興隆した他のスタイルや思想である悪魔主義や退廃芸術と同一視されることも少なくありません。
その反社会的思潮は共通点と言えなくもないですが、耽美主義自体は悪魔主義や退廃芸術とは必ずしも一致しません。
むしろ、感性の復興という意味では中世ルネサンス運動からその精神が通底しているとも言えます。
その一方で、神秘主義と相通じる要素があるのも確かでしょう。
フランス人作家ペラダン は「美が生み出すのは感情を観念に昇華させる歓びである」と語っています。
ここで語られている感情というものの表出がそれまでよりより解放的に・生々しくなったことが原因で、同性愛・サディズム・マゾヒズム・エロチシズムなども、耽美主義の作風に含まれることが多く見受けられます。
ある種、究極の美しさの追求により逆にグロテスクさや精神的な倒錯が表出してしまうのは、人間の性(さが)がよく表現されていると言えそうです。
日本の耽美主義者たち
耽美主義の流れは日本の知識人や文化人、芸術家にも影響を与えました。
文学では、谷崎潤一郎、澁澤龍彦、江戸川乱歩、夢野久作、また三島由紀夫も耽美派と考えられることもあります。
画家では、月岡芳年の《残酷絵》、伊藤晴雨《責め絵》などがあります。また、現役の作家としては金子國義、村上芳正、建石修志なども活躍しています。
①月岡芳年
月岡芳年(よしとし)は、歴史画、美人画、合戦絵などの様ざまなテーマで独特の画風で知られていますが、特に「無惨絵」のシリーズで有名で、「血まみれ芳年」の二つ名でも呼ばれています。
無惨絵のシリーズは罪人の斬首シーンなどのグロテスクな場面を写実的に描写しています。
血を表現するにあたって、染料に膠を混ぜて光らすなどの工夫をしたり、動きの瞬間をストップモーションのように止めて見せる技法は、昭和期以降に発展してきた漫画や劇画にも通じるものがあり、劇画の先駆者との評もあります。
月岡芳年|『英名二十八衆句』の内「稲田九蔵新助」図
②伊藤晴雨
伊藤晴雨(いとうせいう)は、「責め絵」や「幽霊画」で有名な画家です。
幼い頃から絵が得意で、8歳で琳派の絵師・野沢提雨に弟子入りしました。そのすぐ後、9歳の時点で芝居の中で見た体罰シーンや女性の髪の匂いに執着するといった特殊性癖が見られたといいます。
のちには、江戸時代の風俗研究や自身のライフワークである責めや縛りに関する風俗考証をし、1928年には『責の研究』という著書を著すなど、単なる挿絵画家にとどまらない功績を残しています。
伊藤晴雨|責め絵
③金子國義
詩人の高橋睦郎や澁澤龍彦と交わりながら本格的に制作を始め、幻想小説の装丁や挿絵に魅力的な少女像を描いて注目された画家です。
「富士見ロマン文庫」、『ユリイカ』、『婦人公論』などをはじめとする多くの雑誌や書籍の装丁や挿絵を手掛けました。
金子国義|聖なるかな
④村上芳正
村上も三島由紀夫や澁澤龍彦の作品とは縁が深く、特に夢野久作『家畜人ヤプー』の装丁を手掛けたことで有名です。
他にも三島の戯曲『十日の菊』のポスターや、大部『豊饒の海』の装幀を手掛けました。
絵は独学で学び、ディテールにこだわるスタイルが耽美的な空気を感じさせます。
村上芳正|夢野久作『家畜人ヤプー』の装丁画
⑤建石修志
建石は、東京都立小平高等学校を経て東京藝術大学を卒業し、『幻想文学』の表紙絵のほか挿画などで活躍しました。
鉛筆による幻想的な絵で知られています。
中井英夫、久世光彦、皆川博子など小説の挿画も制作。これまでに手がけた書籍の装丁は、400冊を超える数となっています。
建石修志|ケンタウルスー秋の手品
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