ジャン=フランソワ・ミレー|The Angelus, 1857–1859
バルビゾン派とは
バルビゾン派は、19世紀フランスにて活動した写実主義と関係の深い芸術運動を指します。当時の主流派だったロマン主義運動とは対立的な主張を持って発生しました。
バルビゾン派運動の活動時期はおおよそ1830年から1870年までとされています。名前はフランスのバルビゾン村に由来しています。
当時、バルビゾン村近くにあるフォンテーヌブローの森に多くの芸術家が集まりました。この芸術運動の最も顕著な特徴として、全体的な質感・色・筆致・形態に独特の柔軟性が見られます。
代表的な作家
バルビゾン派の代表的な画家は、カミーユ・コロー、テオドール・ルソー、ジャン=フランソワ・ミレー、シャルル=フランソワ・ドービニー、ジュール・デュプレ、コンスタント・トロワイヨン、シャルル・ジャックなどが挙げられます。
シャルル=フランソワ・ドービニー|Les Blanchisseuses, 1870-1874
ジュール・デュプレ|The Old Oak, 1870
ジャン=フランソワ・ミレーは、コレラを避けて1849年からバルビゾンに住んでいましたが、風景を背景にした人物像への関心は、ほかの作家と一線を画しています。
カミーユ・コローは、1829年に初めてフォンテーヌの森の中で絵を描いた最も初期の人物です。英国の美術史家ハロルド・オズボーンは、「彼の作品には詩的で文学的な性質があり、彼を幾分際立たせている」と批評しています。
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー|View from the Farnese Gardens, 1826
版画家も多く参加していました。主流の技法はエッチングでしたが、半光沢のクリシェ・ヴェール技法を用いる作家もこのグループが中心でした。フランスのエッチングの復興は、1850年代にこのグループから始まりました。
ドービニー|Donkey
バルビゾン派誕生への軌跡
1824年、サロン・ド・パリにイギリスの画家ジョン・コンスタブルの作品が展示されました。彼の田舎の風景画は当時の若い芸術家の一部に影響を与え、形式主義を放棄して自然から直接インスピレーションを得て制作する動機付けとなりました。
自然の風景は、これまでのような単なる劇的な歴史画における背景ではなく、自然そのものが絵画の主題となった点で新しかったと言えます。1848年に革命が発生していたころ、芸術家たちはバルビゾンへ集まり、コンスタブルの技法を取り入れ、自然を主題として絵画制作を始めました。フランスの自然風景は、バルビゾン派の主要な主題でした。
ジョン・コンスタブル|The Hay Wain, 1821
1829年の春、カミーユ・コローはバルビゾンにやってきて、フォンテーヌブローの森を描きました。彼は1822年にシャイーの森で初めて絵を描いています。1830年の秋と1831年の夏にもバルビゾンに戻り、デッサンや油絵の習作を描き、それをもとに1830年のサロンに出展するための絵を描きました。
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー|View of the Forest of Fontainebleau, 1830
コローは、バルビゾン派の画家たちとは、このサロンで出会いました。バルビゾン派のテオドール・ルソー、ポール・ユエ、コンスタン・トロワイヨン、ジャン=フランソワ・ミレー、そして若きシャルル=フランソワ・ドービニーらと出会いました。
ジャン=フランソワ・ミレーの手法
ミレーは風景画から人物画へ主題を広げて、農民、農民の生活風景、畑で働く姿を描きました。1857年の《落穂拾い》がこの画家の代表的な作品で、3人の農村の女性が小麦畑で労働している姿を描いたものです。
ジャン=フランソワ・ミレー|Des glaneuses, 1857
落穂拾いとは土地の所有者が小麦の刈り入れを終えた後に、畑に残っている麦の穂を拾い集めることです。貧しい人々がこのような作業に従事しました。絵の背景には、前景の影のある貧しい農村の女性とは対象的に裕福に描かれた土地所有者と労働者の姿がうっすらと描かれています。
ミレーはこれまでの富裕層や著名な人間から、社会的身分が低い主題や出来事へ焦点を移し変えました。彼らの匿名性と疎外性を強調するため、顔は隠されています。女性の曲がった身体は毎日反復的に行う重労働が滲み出ているようにも見えます。
バルビゾン派が印象派画家に与えた影響
1860年代、バルビゾンの画家たちはパリに滞在しているフランスの若手画家たちに注目を集めはじめました。
パリの若手画家の中にはフォンテーヌブローの森にやってきて風景画を描いたものもいました。クロード・モネ、ピエール=オーギュスト・ルノワール、アルフレッド・シスレー、フレデリック・バジールなどです。
1870年代に彼らはバルビゾン派で使われていた即興的な技法を発展させて、戸外制作を中心に自身が知覚した一瞬の風景を描きとる印象主義運動を開始しました。
ピエール=オーギュスト・ルノワール|La Balançoire, 1876
後期印象派の画家フィンセント・ファン・ゴッホもバルビゾンの画家たちを研究・模写しており、その中にはミレーの絵の模写が21点含まれています。ミレーの模写は他のどの画家の模写よりも多かったといいます。
ゴッホによるミレー《種をまく人》の模写
フランス国外の画家への波及
ヨーロッパ各国
また、他国の画家たちもこのバルビゾン派の影響を受けていました。19世紀後半から、オーストリア・ハンガリーから多くの画家がパリにやってきて、新しいムーブメントを学びました。
例えば、ハンガリーの画家ヤーノシュ・トルマは若い頃、パリに留学していました。1896年、現在のルーマニアのバイアマーレにあるナギーバーニャという芸術家コロニーの創設者の一人となり、ハンガリーに印象派を持ち込みました。
2013年にはハンガリー国立美術館で彼の作品の大回顧展「ヤーノシュ・トルマ、ハンガリー・バルビゾンの画家」(2013年2月8日~5月19日、ハンガリー国立美術館)が開催されています。
ヤノーシュ・トルマ|Landscape in Autumn, 1920
別の例もあります。カール・ボドマーはもともとスイス人で、1849年にバルビゾンに居を構えました。また、同じくハンガリー人のパール・ラースローは、1870年代にバルビゾンに住んでいました。
カール・ボドマー|A Stop; Evening Bivouac, 1833
パール・ラースロー|Path in the Forest of Fontainebleau, 1876
アメリカ
バルビゾン派の画家たちは、アメリカの風景画にも大きな影響を与えた。これには、ウィリアム・モリス・ハントによるアメリカのバルビゾン派の発展も含まれます。
ハドソンリバー派も、あるいはそれと同時代の画家たちも、その緩やかな筆致と感情的なインパクトかに共鳴してバルビゾン派の絵画を研究しました。
ルソーの作品を模倣しようとしたジョージ・イネスがその代表的な例です。
ジョージ・イネス|Sunrise, 1887
画家のパーシー・グレイは、巡回展で見たルソーや他の画家の作品を丹念に研究し、カリフォルニアの丘や海岸線を描いた自身の作品に生かしました。
ルイジアナで育ち、アカデミー・ジュリアンで学んだパーシヴァル・ロッソー(1859-1937)のスポーツ犬の絵には、バルビゾン派の画家の影響が見て取れます。
パーシヴァル・ロッソー|Dogs
参考文献