ポスト印象派・キュビズム・象徴主義
近代美術と区分される時代の中でも後半になると、ポスト印象派・キュビズム・象徴主義という芸術運動が台頭してきます。
ポスト印象派
ポスト印象主義の代表的な画家は、ゴッホやゴーギャンなど、色彩そのものが有する独自の表現力をつかう画家たちです。
ゴッホやゴーギャンらは、特にフォーヴィスム、表現主義、抽象芸術、プリミティヴィズムといったのちの芸術運動に影響を与えました。
フィンセント・ファン・ゴッホ《星月夜》1889年|ニューヨーク近代美術館(MoMA)所蔵
フォーヴィスム
20世紀初頭、アンリ・マティスをはじめ、ジョルジュ・ブラック、アンドレ・ドラン、ラウル・デュフィ、といった若手画家たちがパリの美術世界で革命を起こします。
彼らは「フォーヴィスム(野獣派)」と呼ばれ、色彩それ自体に自律的表現力があるものと見なしました。とりわけ、人間の内的感情や感覚を表現するのに色彩は重要なものとし、色彩自体が作り出す自律的な世界を研究しました。
アンリ・マティス《ダンス ( I ) 》1909年|ニューヨーク近代美術館(MoMA)所蔵
特にアンリ・マティスの《ダンス ( I ) 》は、マティス自身の芸術キャリアにとっても、近代絵画の展開においても重要な作品となっています。
この作品はプリミティブ・アートに潜む人類初期の芸術衝動を反映したものであるといいます。
絵画の中では、冷たい青緑の背景と対照に人物造形は温かみのある色が使われ、裸の女性たちが輪になって手を繋ぎ、リズミカルに踊っている。特定の何かに縛られない、自由な感情や快楽主義的なものが伝わってくるようです。
キュビズム
3つめの潮流はキュビズムです。
キュビズムは、美術史的には、感覚的で移ろいやすい印象よりも知的な構成や形態を重視するポール・セザンヌの理論に基づいた表現です。
セザンヌの影響が色濃いのはパブロ・ピカソです。ピカソは自然の形態を立方体、球体、円錐の集積と見て、これらを積み重ねることで、対象を再現するというより「構成」してゆくというセザンヌ方法を基盤としてキュビズム絵画を発明しました。
1907年の《アヴィニョンの娘たち》はキュビズムを代表する作品です。プリミティヴ・アートの手法を導入し、従来の遠近法にとらわれないフラットな空間構成において、西洋絵画の伝統に対してラディカルな革命を起こしました。
ポール・セザンヌ《サン=ヴィクトワール山》1904年|オルセー美術館所蔵
パブロ・ピカソ《アヴィニョンの娘たち》1907年|ニューヨーク近代美術館(MoMA)所蔵
象徴主義
最後は、目に見える世界を追いかけるリアリズムと、その延長線上の印象主義に対する反動として19世紀に発生した、象徴主義です。
象徴主義は、ゴッホ・ゴーギャン・セザンヌなどの後期印象派の流れとは別に、ほぼ並行して発生した美術スタイルです。
象徴主義の画家たちは、印象主義に対する反動から、自己内部の世界の感覚的で移ろいやすい印象よりも、知的な構成・形態を重視する傾向にあります。
象徴主義はヨーロッパ全域、アメリカ、ロシアにも見られるもので、ギュスターヴ・モロー、オディロン・ルドン、イギリスのラファエル前派、グスタフ・クリムト、アルノルト・ベックリン、エドヴァルド・ムンクなどが代表的な画家として挙げられます。
後代への影響でいうと、象徴主義はとりわけワシリー・カンディンスキー、ピート・モンドリアン、ロシア・アヴァンギャルド(芸術運動)、シュルレアリスム(芸術運動)に多大な影響を及ぼしました。
象徴主義の代表的作品、オディロン・ルドン《サイクロプス》1898 ~ 1914年|クレラー・ミュラー美術館
シュールレアリスムの代表的作品、サルバドール・ダリ《記憶の固執》1931年|ニューヨーク近代美術館(MoMA)所蔵
その他の芸術運動
上記の芸術運動のほかにも、「プリミティヴィズム(原始芸術)」や「素朴派(ナイーヴ・アート)」と呼ばれる流れがあります。
素朴派は正式な美術教育を受けたことのない作家によって制作され、独学ゆえにかえって素朴さや独創性が際立つ作品群を指します。
日曜画家のアンリ・ルソーが代表的なアーティストです。
ナイーヴ・アートの作家は、独学で手法や構成を学び、ほかの職業で生計を立てながら、個人的な楽しみとして制作していた場合がほとんどです。
したがって、正確には芸術運動というカテゴリーの定義からは外れますが、このように自然発生的な(アーティストの意図ではなく後の時代に美術史家によってカテゴライズされるような)流れは便宜上、「〜主義」に対して「〜派」と称して区別されます。
アンリ・ルソー《人形を持つ子供》1908年|オランジュリー美術館所蔵
近代美術を構成する芸術運動のまとめ
ここで改めて近代美術を形作った芸術運動を振り返ってみましょう。
近代美術前半:
ロマン主義、写実主義、印象主義
近代美術後半:
ポスト印象主義、キュビズム、フォーヴィスム、象徴主義、素朴派
これらが、後代の芸術運動につながっていきます。専門家の間でも意見は分かれますが、印象主義は抽象表現主義の源流となり、ポスト印象主義やここでは紹介していないウィーン分離派やアールヌーヴォーなどが混合された結果ドイツ表現主義に受け継がれるなどの芸術運動の生成と消滅が繰り返されていきます。アーティストの人生には限りがあるため一つの芸術運動が何世紀も絶やされないということはありませんが、現代のアーティストや批評家、美術史家に発見されて、もしくは逆に意識されないほどまでに浸透することで、影響を与え続けているのです。
付録:近代美術誕生前夜
近代美術と現代美術は区別されます。しかし、近代美術の及ぼす影響の大きさという面では、ある意味21世紀の現在にいたるまで近代美術は継続しているとも言えるかもしれません。本記事冒頭でも軽く触れましたが、近代以前の時代を参照しつつどのように「近代」が出来上がったのか少し詳しくみてみましょう。
産業革命
近代美術の誕生は、西ヨーロッパや北アメリカにおいて、生産・交通などで大きな技術革新が生まれ、経済・社会・文化の構造に変革をもたらした18世紀から19世紀にかけて発生した産業革命までさかのぼります。
この時代、蒸気機関という新しい輸送形態が人々の生活や労働形態を変化させました。それによって旅行が生まれたことで、特に陸続きのヨーロッパにおいて国外旅行が容易になり、市井の人々の世界を広げ、経済的・文化的・思想的交流がスピードアップされました。都市の中心が繁栄するにつれ、労働者は産業集約型企業のため都市に集まり、都市人口は急増しました。科学技術の進歩と産業革命を経て資本主義が高度に発達する一方、信仰の衰退をもたらし、キリスト教の社会的権威は次第に弱体化し、世俗化が進行していったと言えます。
ストックトン・アンド・ダーリントン鉄道の開業、1825年
社会の変遷にともなう美的観念の変遷
西洋美術の表現の変遷もこのような社会の変遷と密接に結びついています。上述した鉄道による物理的移動促進に並行して美術の中でも個人主義化が進み、古典的理想美に絶対的な規範を見ていた伝統的な価値観から、美を主観的なものとして相対化するという近代的な価値観へと移行していきました。
ロマン派の画家ドラクロワは「美の多様性について」(1857年)という文章のなかで、美は古代ギリシアだけにあるのではなく異なる時代や地域には異なる美が存在すること、偉大な詩人や芸術家が美を生み出すのは各々の個性や特異性からであると主張しています。このような美の定義の変化は近代以前の芸術観から根本的に逸脱していると言えます。
21世紀現在の現代美術やアート・ワールドと呼ばれている世界においても、大衆文化に影響をうけた現代美術市場があり、相対的美的観念という根本の理解は受け継がれています。
美的価値の評価システム
作品の受容という観点から美術価値の変化が起こったことも、見逃すことはできません。19世紀末より、美的価値の審級が従来の「アカデミズム」から「批評家システム」に移行していきました。この解説のために、一度近代的個人主義の成立をおさらいしていきましょう。
近代以前、芸術家たちは一般的に富裕層である個人のパトロンや教会からの注文で作品を制作していました。このような芸術作品の大半は聖書や神話の場面を描写する歴史画と呼ばれるジャンルであり、鑑賞者にその内容を教授するものでした。
近代を迎えると、資本主義や中流階級の発展にともなって、王侯貴族や宗教勢力ではなく中流階級の市民が新たな絵画の受容層に変わりはじめます。受容層の変化は作品自体に大きな影響を与え、歴史画や肖像画、宗教画に代わって、わかりやすく親しみやすい風景画や風俗画の制作が格段に増えていきます。
それによって、アーティスト側からしてもアカデミズムの中で成功することが絶対的なものではなくなっていきました。クールベ、マネ、印象主義の画家たちは、フランスのアカデミック・システムから距離を置き、画商経由で特にアメリカの中産階級に受け入れられて成功しました。すなわち、美的価値の評価システムがアカデミズムから批評家や画商というプレイヤーに変遷したことを意味します。19世紀後半に誕生したこのような「批評家システム」は絵画受容の新しい枠組みであり、今日のアート・ワールドまで強固に機能し続けています。
パブロ・ピカソやジョルジュ・ブラックらのキュビスムの画商として名を馳せたカーンワイラー (Daniel Henry Kahnweiler, 1884 ~ 1979) は現代美術におけるギャラリストの先駆けともいわれ、新しい美術市場システムを作りました。
The Crosby Garrett Helmet on auction at Christie's, London, on 7 October 2010. Photo by Daniel Pett.
大衆芸術
19世紀には、絵画、彫刻、建築といったこれまでのファインアートに対して、版画や装飾芸術、グラフィックデザインなどの大衆芸術が発展したのも大きな特徴です。1798年に発明されたリトグラフという印刷技術は大量印刷を可能にし、ロートレック、アルフォンス・ミュシャといった人気イラストレーターを誕生させました。
アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック Moulin Rouge, La Goulue, 1891年
アルフォンス・ミュシャ F. Champenois Imprimeur-Éditeur, 1897, Lithograph
中流階級の発展にともなって壁紙や家具、書物の挿絵や装幀、ステンドグラスやタペストリー、モザイクや陶芸産業が盛んになると、単なる装飾からは逸脱した、芸術性の高い装飾芸術がヨーロッパに広がっていきました。ラファエル前派やウィリアム・モリスのアーツ・アンド・クラフツ運動などが代表的な例です。19世紀末に流行したアール・ヌーヴォーは19世紀装飾芸術運動の頂点と言えます。
ウィリアム・モリス タペストリー, 1885年
19世紀におけるこのような大衆芸術の興隆は、21世紀の今日、街の壁に描いたスプレーアート、ステッカー、ステンシル、看板の改竄といったメディウムを使ったストリート・アートがファインアートと同一市場で扱われはじめている点において共通しています。
バンクシー Anarchist Rat, Taken by Shermozle
写真という新メディウム
新しいメディウムで絵画と同格の芸術とみなされうるものも現れました。
代表的なのは「写真」です。1839年にダゲレオタイプという最初期の撮影方法が発明されてから、写真術は改良を重ねて写実的描写能力を獲得し、写実絵画の地位を脅かすことになりました。
そのため、画家たちは写真と異なる表現方法を見出す必要があり、現実をありのまま再現するのではなく、画家が主観で感じたものを再現する印象主義やロマン主義などが発展していきました。
その一方、写真の方でもアルフレッド・スティーグリッツなどは、現実をありのまま再現することから離れて、絵画のような「芸術」になることを目指し始めました。
また、映像の出現(1859年)も絵画に大きな影響を与えました。映像の発明によって絵画における物語表現の重要度が低くなり、絵画にしかない特性を追求する動機付けを与えたと言えます。
アルフレッド・スティーグリッツ Miss S.R., 1905年
異文化との接触 — 万国博覧会の時代
オリエンタリズム(東方趣味)、ジャポニスム(日本趣味)、プリミティヴィズムなど、異文化との接触を通した19世紀美術の変容も忘れてはいけません。19世紀は万国博覧会の時代だったと言っても過言ではありません。
この問題は、19世紀の西洋列強の植民地化の進展と密接な結び付きがあります。西洋列強が領土的野心を持って世界中に進出することで、西洋と外部の距離が一気に縮まり、その結果、さまざまな文化や美術がヨーロッパに輸入されることになります。
こうして生まれたのが万国博覧会です。特に1855年から1900年までに5度開かれたパリ万国博覧会は芸術家に大きな影響を与えました。ちなみにジャポニスムが西洋美術に本格的に浸透しはじめるのは1867年のパリ万国博覧会に日本が初めて正式に参加してからです。
1900年のパリ万国博覧会
アウトサイダー・アート
今日のアウトサイダー・アートは、20世紀初頭に流行した素朴派やプリミティヴィズムの系譜にあるといえます。このカテゴリーに分類されるアーティストは特殊で、本人に「アウトサイダー・アートという流れの中で制作を行っている」という意識が微塵もないことから美術史家たちは文脈づけを躊躇しがちですが、彼らの独創的な制作とその革新性は言及に値します。また、ヘンリー・ダーガーなどに代表されるこれらのアーティストは精神的疾患や深刻な社会不適合性を持っている場合がほとんどで、20世紀に発達した精神分析学的観点からも興味深い考察の対象となっています。
ヘンリー・ダーガー|In the Realms of the Unreal
ソーシャル・アクティビズム
社会的・政治的メッセージや攻撃性を帯びた活動は、ヴァンダリズムやアーティビズムと称されます。
これらがアートというカテゴリーに含まれるか否かは専門家の中でも意見が割れるところです。特に、ヴァンダリズム(Vandalism of Art)は「芸術作品に対する」破壊・落書き・毀損行為を指すため、鑑賞者の立場により大きく捉え方が変わるでしょう。
Giving to the Poor, a stencil by American street artist Above addressing the issue of homelessness. Lisbon, Portugal, 2008. By Hdepot - Own work, CC BY-SA 3.0
かつてカントは「モダニズムは内部から批判する」と述べましたが、ヴァンダリズムやアーティビズムが進むと訪れるのは、「近代美術による近代美術の自己破壊」かもしれません。このような自己破壊は、資本主義社会にともなう経済的格差の増幅や、環境問題などを含む思想闘争により姿を変えて出現してくる可能性があります。この場合、近代美術を破壊する主体は必ずしも近代美術自身ではなく、その影響によって他の問題が深刻化していると主張する個人によってかもしれません。—2022年には、世界中の美術館において同時多発的に、歴史的に有名な絵画作品にトマト缶を投げつけるというパフォーマンスを環境運動家が実行しています。
ロンドン・ナショナルギャラリーにて、ゴッホ《ひまわり》にトマトスープを投げつけた環境保護団体の活動家たち, 2022年10月
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