クロード・モネ Woman with a Parasol - Madame Monet and Her Son, 1875, Oil on Canvas
近代美術(モダンアート)は、実験精神を重視し、過去の伝統的な美術様式から脱しようとした思想や様式を抱いた芸術運動のことです。
具体的なアーティストに即していうと、クロード・モネらの印象派、フィンセント・ファン・ゴッホ、ポール・ゴーギャン、ポール・セザンヌ、ジョルジュ・スーラといった後期印象派の画家たちです。これらの芸術運動が美術分野の「近代」の発展における主要な存在だったと言えます。一般的に近代美術として認知されているのは、おおよそ1860年代から1970年代までに制作された作品となっています。
なお、コンセプチュアル・アートなどが主流となった1970年代以降の美術は「現代美術」と呼ばれ、近代美術とは区別されています。
「近代」という言葉は、一般的には封建主義時代や中世より後の資本主義社会・市民社会の時代のこと、すなわち「個人主義」や「民主主義」の時代のことを指し示します。近代主義とは、国家や社会の権威に対して個人の権利と自由を尊重する立場をとる姿勢のことを意味しています。
ブリタニカ国際百科事典によれば、近代を特徴づける思想傾向として、個人主義、合理主義、世俗化、自由主義などがあげられます。
以上の「近代」の成り立ちを踏まえると、近代美術の本質とは、近代以前の王朝や宗教国家の権威を高めるプロパガンダ美術に対して、個人の自由を主張し対抗する民主主義の美術といえるでしょう。
近代美術の萌芽は、フランシス・デ・ゴヤ、ウジェーヌ・ドラクロワ、ギュスターヴ・クールベなどの作品に見られます。その後およそ100年の時をかけて既存の美術様式と対応しながらゆっくり育ち、現在のアーティストにまで大きな影響を与えています。
本記事では18世紀終わりから19世紀、20世紀までの西洋美術、特に絵画領域の発展を包括的に解説していきます。
ポール・セザンヌ Still Life with Apples and Peaches,1905, Oil on Canvas
近代美術の理解 3ポイント要約
💡近代とは西洋における中世・封建主義以降の時代区分を指す
💡近代美術とは個人主義的価値観のもと生まれた作品を指す美術史的区分である
💡近代美術とは主に1860年代から1970年代までの作品を指す
美術の中でも、絵画以外の領域で近代という区分が利用されることは多くあります。近代彫刻・近代建築は19世紀の終わりに現れたとみなされていますが、近代絵画はもう少し早く成立しました。一般的に近代絵画の誕生年とみなされているのは1863年です。この年は、エドゥアール・マネがパリのサロンと呼ばれる当時の絵画業界の晴れ舞台から落選した作品を集めた落選展において《草上の昼食》という作品を展示し、批評家たちに批判されるというスキャンダルを巻き起こした年です。
近代絵画の始点については議論が分かれており、1863年以前のタイミングもいくつか提案されています。たとえば、ギュスターヴ・クールベの1855年作《画家のアトリエ》や、ジャック=ルイ・ダヴィッドの1784年作《ホラティウス兄弟の誓い》を近代美術の始まりとみなす研究者もいます。
それ以外にも、黒い絵画シリーズを描いていたフランシス・デ・ゴヤ、フランス革命を描いたウジェーヌ・ドラクロワを近代美術の萌芽とみなすことも可能でしょう。しかし、20世紀米国の美術史家アーナソン(Hjorvardur Harvard Arnason, 1909 – 1986)は以下のように述べています。
「それぞれの日付は、近代美術の発展において重要な意味を持つが、まったく新しい始まりの年ではない。近代美術は100年かけてゆっくりと生成されてきた」
エドゥアール・マネ Le Déjeuner sur l'herbe, 1862, Oil on Canvas
近代絵画成立の背景① 啓蒙思想
ここからは、「近代」の背景となった政治体制や思想を少し参照してみましょう。
近代美術と結びつきのある思考の最初のタネは、18世紀の啓蒙主義にまで遡ることができます。美術批評家のクレメント・グリーンバーグは、哲学者のエマヌエル・カントを「最初の実際のモダニスト」と表現し、「啓蒙主義は外部から批判し、モダニズムは内部から批判する」と述べました ("Modernist Painting", 1961)。啓蒙主義の成立の背景には、「暗黒時代」と称される中世西ヨーロッパの社会的・文化的退行の時代が存在しています。啓蒙主義は、中世に蔓延した病疫や政治的退行に疲弊した民衆の心の支えになっていた非論理的・神秘主義的思想を「外側から」批判し、理性主義を説きました。それを称して「蒙(くら=暗)きを啓(ひら)く」とする「啓蒙=Enlightenment」とされています。それに対し、グリーンバーグの述べる「モダニズムは内部から批判する」とは、「近代主義とは体制の自己批判を目的として特定の体制を採用する自己言及プロセスである」ということを意味します。
カントは『判断力批判』(1790年) において、主観の存在を前提に美的判断の問題を論じました。この著書においてカントは、古典的理想美に絶対的な規範を見ていた伝統的価値観から、美を主観的なものとして相対化し多様であることを認める近代的な価値観への移行を、早くも予言していたと言えるかもしれません。
そして、1789年のフランス革命とそれに続くナポレオン統治時代は、ヨーロッパにおいて何世紀もの間人々が慣れ親しんできた伝統的な政治・社会制度を根絶やしにしたことで、近代美術が生まれる社会的下地を作りました。ジャック・ルイ・タヴィッドの《皇帝ナポレオン一世の聖別式》やアングルの《玉座のナポレオン一世》の主役として、国王でも教皇でもなく、庶民からの圧倒的なカリスマによって最高権力にのぼりつめた個人が絵に描かれました。
ドミニク・アングル Napoléon Ier sur le trône impérial, 1806, Oil on Canvas
近代絵画成立の背景② 19世紀 写真・風俗・芸術運動の興隆
上記の思想的背景は、当時のアーティスト個人には明瞭に意識されていなかったかもしれません。この章では、より直接的な影響を与えたいくつかのポイントを解説していきます。
風俗
ここでいう「風俗」とは、日常生活の慣習やしきたり、慣わしのことを指します。
19世紀になると多くの芸術家たちが、個人的に興味のある人物・場所・考えを主題として自由にキャンバスに描写するようになったのも近代以前の美術と大きく異なります。
19世紀のヨーロッパではフランスを中心として多くの国で、神話・聖書・歴史の寓意などを主題に伝統的な写実技法で表現する「歴史画(物語画)」が中心的でした。しかし、市民社会が進むにつれ、通俗性を帯びた主題で制作を行う画家が少しずつ増え、肖像画、風俗画、風景画が一般的になりました。
さらに、ジークムント・フロイトの『夢判断』が1899年に出版されたことで「無意識の世界」が多くの芸術家の関心の的となり、自己の経験を表現するモチーフとして、夢・象徴性・内面といった対象を研究され始めました。
このような流れのもと、画家たちは色彩・非伝統的な素材・新しい表現手段を利用して実験的な制作を行うようになりました。
ピーテル・ブリューゲル Peasant Dance by Pieter Brueghel the Elder
写真の誕生
「新しい表現手段」の一つに、1830年代に発明された写真技術があります。写真は世界を描写・再解釈するための新しい方法となりました。19世紀末にはモーション・ピクチャー=映像が出現しました。これらの技術の出現にともない、絵画が担う社会的な役割にも変化が生じていきます。
それまでは、「絵画は写実的に世界を描写する必要がある」という観念は、改めて口に出すまでもなく支配的な観念だったと言えるでしょう。しかし、写真の出現により、写実性は写真に任せておいていいのではないか、より主観的な見方をすれば、記録として機能してきた肖像画や報道画など画家の仕事が写真家に「横取りされてしまった」という考え方が芽生えます。
よりポジティブに捉えれば、「必ずしも写実的に絵を描く必要はない」ということがより意識され始めたと言えるでしょう。そのため、荒々しい筆遣いを最後まで残した絵画や、夢や幻覚を描いた絵画、「風景を描く」のではなく「絵画を描く」ために「風景を利用する」絵画などが意識的に制作され始めました。特に、最後の「絵画を描く」ためにという意識=自己目的的芸術が、近代絵画のそれまでにない特徴として美術史上革新的であったと言えるでしょう。「Art for Art's Sake = 芸術のための芸術」、芸術の自己目的性(また発展的には自己批判性)は、現代のアーティストに至るまで脈々と受け継がれる近代以降の美術の基本的な要件です。
Daguerreotype of Louis Daguerre in 1844 by Jean-Baptiste Sabatier-Blot
芸術運動
近代美術を追う上で欠かせないのが「芸術運動」という概念です。
芸術運動とは、「特定の共通した芸術哲学や目標を持った芸術の傾向・スタイル」のこと。芸術運動は通常、設立者または批評家などによって定義された哲学や目標のもと、複数のアーティストがその哲学や基本コンセプトに沿ったスタイルで制作活動を行います。もしくは、アーティストの活躍とは別の後の時代に、美術史家によって新たに定義されるような芸術運動もあります。
政治・宗教的絶対権力が芸術的価値を定めていた中世や封建時代と異なり、近代美術においては「芸術運動」が芸術的価値を保証します。連綿と続く西洋美術の歴史の流れ(=文脈/コンテクスト)に繋がりを保ちつつ革新性を備えた芸術運動は、前衛表現として受け入れられ、さらに時代の淘汰を経て古典となっていきます。
コンテクストにより価値判断がなされるこのような考え方は、現代のアート業界でも主流です。アーティスト・ギャラリスト・批評家・コレクターといったアート業界を形づくるプレイヤーたちは、近代美術の作品・アーティスト、およびその影響を受けた現代のアーティストに注意を払っており、近代美術という大きな芸術運動は現代アートの革新性を判断する際の重要な指標であり続けています。
近代美術前半の芸術運動 — ロマン主義・写実主義・印象派
近代美術という大きなカテゴリーの中でも、いくつかの芸術運動が混在しています。代表的なものをいくつかみてみましょう。
初期の代表的な芸術運動は、18世紀末〜19世紀にかけて出現したロマン主義、写実主義、印象主義です。これと同時代に、東洋の装飾芸術—日本の浮世絵版画—が「ジャポニスム」として大流行し、色彩の面で西洋美術に大きな変化を与えました。ゴッホが浮世絵を油絵で模写したのは有名な話です。その後19世紀末にポスト印象主義と象徴主義が出現しました。
ロマン主義の代表的作品|ウジェーヌ・ドラクロワ Femmes d'Alger dans leur appartement, 1834, Oil on Canvas
写実主義の代表的作品|ギュスターヴ・クールベ Bonjour Monsieur Courbet, 1854, Oil on Canvas
印象主義の代表的作品|クロード・モネ Impression, soleil levant, 1872, Oil on Canvas
参考文献