肖像とは、特定の人間の外観を描写したものである。写真や彫刻など様々なアウトプットの仕方のうち絵画によるものを、特にポートレートと呼ぶ。
近世においては王侯貴族の姿を描いた「肖像画」という絵画ジャンルもあったが、けれどもカメラの台頭によって写実絵画は衰退し、今では美術館で見るような存在になった。
現代アートにも、例えばアンディー・ウォーホルによるマリリン・モンローの顔を描いた作品があるように、人(実際にいるいないは別として)の顔をモジュールにするケースは少なくない。モチーフとして、あるいはテーマとして、作家によって「顔」の使い方は様々だ。
坪山斉/Tsuboyama Hitoshi
坪山の肖像画シリーズ《Combine Portrait》には、一瞥で異質感や不安感を掻き立てられる。
1960〜70年代のミニマルアート等の後期モダニズムに強いインスピレーションを得ながらも、独自の空間概念を軸に色面による新たな表現を模索している坪山はその塗りの美しさに定評がある。
人が何かを識別・認識するということへの疑いや問いかけをテーマにしており、だからこその Conbine(組み合わせる)なのかもしれない。顔面を等高線のように区切り、美しい色面で塗りあげる様は、肖像の容姿とアイデンティティについて我々に何かを投げかけるようだ。
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チャニー・リー/Changhee Lee
リーの描く肖像もまた既視感のない作品である。モチーフとしては若い女性を一貫して選び、中世とファンタジックな世界が混合されたような画面を描く。
リーの作品はポートレートの名を冠しながらも、自身の内面的世界の表出を図った進歩的な作品であるといえるだろう。
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アントニオ・サラス・カブレラ/Antonio Salas Cabrera
既存のイメージを再構成する手法によって作品制作を行うアントニオ。既存のイメージをPCに取り込み、トリミングや色彩の変更などを経て出力されるイメージよく知る既存のモデルとはまた異なった表情を見せる。
アントニオの作品のモデルは、それもまた作品であり、その作品にはモデルとなった人物がいることから二重の透過を経た上で、我々は元の人物を見ているといえるだろう。しかし、二重の解釈は無意識下で中抜きされているのにもかかわらず、我々の意識は尚も直接的にモデルの姿を捉えていることを自覚する。シミュレーショニズムに通底する手法を以て、アントニオは認識について一つの解釈を与えているのだ。
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エージェントX/Agent X
アメリカンコミックなど既存のイメージに依拠しつつも、マルチメディアなコラージュを施すことによって独特の存在感を放つエージェントX。彼の実験的な作品の多くは、人物の多くは人間であるものの、そのアウトプットの多彩さには驚くばかりだ。
未来派の美学と哲学、ダダ運動の社会的批評、ポップアートからスーパーフラットまでの現代芸術運動の間のユニークな交差の中で描かれる <<Queen>>シリーズは16世紀のアーティスト、アルチンボルドのコラージュ的な人物描写を思わせる。しかし、そこに現代的な発想とデジタル世代ならではの技法が掛け合わさることで作品として調和がとれつつも、我々は混沌とした倒錯感を感じるだろう。
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A.C.D.
直線を多用する画面からキュビズムを思わせるが、抽象の手法はA.C.D.独特であり、硬質的な印象を鑑賞者に与えつつも、彩度の高い彩りのある画面からは温かみが感じられる。
特に《Le Grand Prince》は顔の造形が単純な線分により的確に表現され、近代の顔面表現が為されている。
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画家とモデルの間のドラマが顕れやすいことなど他の分野とはまた異なった味があることから、肖像画はある種、玄人好みする分野である。しかし、誰しもが肖像を量産する時代に在って、あえて肖像画という手段で顔を描くのは人間の顔とアイデンティティは密接であると同時に、不安定な関係であるという証左であろう。